城壁に囲まれた街



四方を城壁で囲まれた西安の繁華街は、鐘楼を中心にして道路が東西南北に延びている。商店やレストラン、デパートが並び、若者や観光客で賑わっていた。
先ずは見晴らしの良い、高さ36mの鐘楼に上る。
戦時中は、見晴台や司令部になったというほどに、展望が良い。どの方角からも、街が一望できる。わたしはしばしば、西の安定門の方向を眺めていた。すると自身が、古の旅人になってしまったかのように思えてきて、心の中で呟いた。
「ここから、ローマへとシルクロードが続いているのだなあ……」
この鐘楼は、1384年にに創建されたものだ。当時は、西大街と広済街の交わる辺りにあったそうだが、1582年にこの場所に移された。高さが8mある、レンガ造りの土台の上に楼閣が建てられている。
その造りは重櫓複屋(ちょうろふくおく)といい、屋根は三重だが実際には二階建だ。正方形の木造建築の楼閣には、釘が一本も使われていない造りである。楼閣の扉のレリーフに刻まれているのは、有名な故事という。



かつては楼の上には大きな鐘が吊るされおり、毎朝70回撞き終わると、東西南北の四つの城門が開かれたといわれている。
鐘楼から400mほど西に建つのが、鼓楼である。
どっしりとした構えの鼓楼は、鐘楼よりも4年早い1380年に建てられた。高さ33mの楼閣の土台にはアーチ型の通路があり、今でも人や車が通っている。
往時の楼上には大きな太鼓が掛けられており、夕方になるとその太鼓を打って、時を知らせていたそうだ。その音を合図に、東西南北の門が閉められたという。鼓楼は、清代に二度修復されている。
城壁に囲まれた南門の側に、「陝西省博物館」がある。1950年に創建された、陝西省最大の博物館だ。かつては孔子廟だった建物で、「碑林」とも呼ばれている。
収蔵品は8万点以上あり、館内は、歴史陳列室と石刻芸術陳列室、碑林の三部から成っている。
ここには、史都西安に伝わる、「草書般若波羅蜜多心経の石碑」や「達磨趺坐図石碑」を始め、各時代の逸品が多々展示されている。
この博物館の中心をなすものは、碑林である。1087年に創建され、多くの石碑が林立するところから碑林との名が付けられたそうだ。
鐘楼から、南大門を1キロほど行くと南門に出る。
見上げる強固な造りの城壁の側に来ると、賑わった街とは裏腹に、過去にタイム・スリップしたようである。
西安のシンボルでもある城壁は、唐の長安城を基礎にして造られている。1370年から1378年にかけて、レンガを積み重ねて築かれたものである。その後、再三の修理を経て現在の姿になった。
東西に長い、矩形の城壁。その周囲の長さは、約14kある。高さは12mで、上部の幅が12mから14m。底部は、15mから18mにも及ぶそうだ。東西南北には城門楼があり、我々は南の城門に登楼した。
現在の城壁は、かつての六分の一の規模しかないという。城壁から眺める、遥か南に聳えている大雁塔は、当時は長安城内にあったそうだ。
安定門が、西門になる。古の旅人たちが、西方シルクロードを目指して旅立った門である。しかし以前の西門は、8kほど先にあったのだ。西安から、昭陵、乾陵への途上である。現在、城門のレプリカがある場所が、唐代の西門があった地点になる。
そこには、「絲綢路起点群像」の石像が建っていた。彫りが深くて髭を伸ばした、西域商人が彫られている。キャラバンの駱駝を率いて、シルクロードを旅する当時の隊商の姿である。古人はこの門で送別会を行い、シルクロードへと旅立っていったのだろう。





                                  
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