日本に縁のある宮殿・寺院


西安の城門から、東方約1kに興慶宮公園がある。
唐代三大宮殿の一つといわれた、興慶宮跡地に造られた公園だ。敷地の大部分を興慶湖で占められている。
ここで玄宗皇帝と楊貴妃が、酒と歌舞を欲しいままにして遊んだといわれている。
楊貴妃が、牡丹を観賞するために建てられたという沈香亭の建材には、貴重な沈香木が多く用いられているそうだ。
牡丹の時期になると、玄宗と楊貴妃は沈香亭で酒を飲み、歌を唄い、牡丹を観賞したという。興に乗ってくると李白を呼び、詩を作らせたこともあったそうだ。
日本にとって興味深いことは、この公園で阿倍仲麻呂などの遣唐使は、玄宗皇帝と接見したといわれている。716年に遣唐使に選ばれた仲麻呂は、翌年19歳で入唐した。皇帝にその才を認められ、政府の要職を歴任する。73歳の生涯を、この長安で閉じたのだった。
公園内の南東には、仲麻呂の記念碑がある。その石碑には、生涯の業績や彼が望郷の念を詠った望郷詩、それに友人だった李白が彼の死を悼み詠った『こくちょうこうし』などが刻まれている。



我が国の真言宗の開祖・空海と縁のある寺院でもある青龍寺は、城門から南東に約4kの位置にある。
この寺院の前身は、隋の文帝治下の582年に建てられた霊感寺で、唐代の711年に青龍寺と改名された。
日本から入唐した多くの留学僧のひとり空海は、804年に恵果(けいか)和尚に弟子入りして密教を学んだ。
帰国後の空海は、高野山に金剛峯寺を建立して真言宗を開いた。中国文字の書道や、灌漑技術を日本に伝えている。
青龍寺は、唐末の戦乱によって廃寺となっていたが、1973年に塔の土台や殿堂が発掘された。
1982年に、日本からの基金によって空海記念碑が建てられる。2年後の1984年に、空海記念堂が建立された。堂内には、空海と師の恵果の説法像とが並んでいる。
その後、五層の空海記念碑や恵果空海記念堂などが建てられて、青龍寺は再建された。
1986年に日本から桜の木1000株が贈られて、花期が訪れると毎年、境内は桜花に包まれるそうだ。





                                  
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