石の町・タシケント



「中央アジアの首都」といわれているように、タシケントは中央アジア最大の都市である。近代的な大きなビルが多く、中央アジアで唯一の地下鉄が走っている。それは、シルクロードで栄えた古の町とは思えない、街の姿でもある。
首都タシケントは、ウズベキスタン北東部のシルダリア川の支流である、チルチク川の流域にあるオアシス都市だ。古の時代から交通の要衝であり、シルクロードの中継地として栄えてきた。
タシケントとは、テュルク語で「石の町」との意である。2千年前からは、ソグド語で「チャーチュ」といわれていたが、11世紀の最も栄えていたころから、「タシケント」と呼ばれるようになった。
往時、カザフ高原や天山山脈北麓の遊牧地帯と、トランスオクシアナの地は、アムダリアの北にあるトルコ族の多くの住む地域である。古くから、遊牧民の闊歩する地であり、テュルク人やソグド人などが交易をしていた。そのために、中華圏を結ぶ、東西のシルクロードが発達していった。
13世紀に、ウズベキスタンはモンゴル軍に攻略されて、徹底的な破壊を受けた。しかし14世紀には、ティムール帝国が次々と建設を始め、シャイバニ朝時代になると町は復興した。
1865年、帝政ロシアの支配が始まり、町は様変わりした。ロシア人が入植して、現在のアンホール運河を境にして、東側のロシア人の町、西にウズベク人の町と分割統治された。
しかしその境も、1966年4月26日の大地震で消え去った。ソ連各地から3万人以上の「革命的労働者」が投入されて、僅か数年で、町は近代都市に生まれ変わった。そのためにタシケントの中心街は、シルクロードの風情が消え去ってしまった。



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