ティムール広場から神学校へ



朝の通勤時間とかち合い、道路は混んでいた。渋滞に巻き込まれた我々のバスが、街の中心部へ進むほどに、のろのろ運転となっていく。バスや路面電車、トロリーバスは、鮨詰め状態だ。数珠繋ぎになった車の間を、バイクや自転車が通り抜けて行く。
新市街は、広いスペースのなかに建物が建っている。その中心となるのが、「ティムール広場」である。新生ウズベキスタンの民族的結束のシンボルとなっている、ティムール像が建っていた。
ティムールが手を伸ばしている方向が、地元の人たちが「ブロードウェイ」と呼んでいる、目抜き通りのサイールゴフ通りだ。
近くには、ティムールの史料を一堂に集めた、「ティムール博物館」がある。
広場から、ナヴォイ通りを西へ約5キロ行くと、三叉路になる。その大通りの側にあるのが、「クカルダシュ・メドレセ」だ。現在でもメドレセ(神学校)として使われている。
階段を上り、エイヴァンと呼ばれるメドレセの門の前に出る。振り向くと、車で混みあった道路の反対側には、近代的なノッポ・ビルが建っていて、この古風なメドレセとは対照的である。
タイルで飾られた大きなアーチに入ると、イスラム建築の様式通り、中庭になっていた。ぐるりと中庭を囲む、二階建ての建物。階下は教室で、二階は宿舎になっている。
開いているドアから中を覗くと、授業中だったり、床を掃いていたりと、さまざまだった。どの教室も、中学生から高校生ほどの男子ばかりで、女子の姿は見かけない。
このクカルダシュ・メドレセは、タシケントを支配していたシャイバニ朝の大臣・クカルダシュによって、16世紀に建てられた神学校である。ソ連の支配時代には倉庫になっていたが、独立後に修復されて神学校に甦ったそうだ。
ロシア帝国に併合される前は、この辺は「砂地」との意の「レギスタン」と呼ばれる、タシケントの中心地だった。当時、罪人や不貞を犯した女性を、このメドレセのミナレットから投げ落としたという。イスラム寺院で行われていた、よく聞く行為である。



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