近衛軍団の縮図・兵馬俑博物館



街からバスが離れるごとに、辺りには豊かな緑が広がっていく。柳やプラタナス、それにエンジュの並木の若葉が初々しい。
田園地帯に、大草原のように広がっている麦畑。その間に桐の木が点々と植えてあり、紫色の花々が鮮やかだ。
西安の中心部より直線距離にして、約100キロ郊外に「兵馬俑博物館」がある。

兵士や軍馬の陶傭が、多数保存されている。博物館は、西安最大の遺物といえよう。地下で二千年余りも眠っていた、想像を絶するほどの数の兵馬俑。その発見は、中国考古学史上の一大発見ではなく、世界八大奇跡の一つともいわれている。
博物館は、一号坑から三号坑、それに秦始皇帝銅馬車陳列館の4つのエリアから成っている。
一号坑は、東西に230m、南北に62mある。その地下坑道は、深さ5m余り掘り下げられている。そこには、およそ六千体の武装した兵馬俑が、東に向かって38列になって並んでいる。
兵馬俑の平均身長は1・8mあり、胴体は空洞だが、下半身は詰まっている。顔も一つひとつ異なり、身分によった服装もまちまちである。どの傭の表情や態度も生き生きとしており、陶傭とは思えないリアルさが感じられる。



戦いに挑む実戦軍陣の隊列は、整然としている。それは、始皇帝陵を守るための近衛軍団の縮図であり、また、壮大な「地下宮殿」でもある。秦軍の威容を、今の時代に伝える姿である。
発掘途上の戦士の陶傭は、そこここが割れ散っていた。それらを修復するのには、途方もない時間がかかるだろう。考えただけでも、気が遠くなる。
二号坑の兵馬俑は、弓を持って布陣した歩兵隊や戦車隊、騎馬隊などの陶傭だ。戦車89輌と、それを引く馬が336体。それに、騎兵と騎馬が116対と歩兵が562体にも及ぶ大軍だ。
三号坑は、兵馬俑の最高指揮部隊に当たると、思われている場所である。規模は小さいが、64体の兵傭と4頭の馬付き指揮車1輌、それに、作戦本部と思われる部屋などが残されている。総てを合わせた軍の構成は、ただただ驚くばかりだ。
秦銅車馬展示館では、実際の半分のサイズで製作された2組の銅製馬車が展示されていた。
兵馬俑の数は推計八千余りというが、まだ発掘途上である。全部の遺構を掘り起こすには、百年は優にかかるという。
秦の始皇帝は中国を統一し、紀元前221年から、中国史上初めての皇帝である。往時は兵馬俑を作っていることは、秘密裏に進められたそうだ。そのために制作年代が明確ではない。しかし、坑の地下室に敷いてある一部のレンガから、秦の始皇帝が天下を平定してから、亡くなるまでの間と推定されている。
この兵馬俑が発見されたのは、1974年である。農民が井戸を掘っていると、いくつかの陶傭の破片が出てきたのだった。その後、考古学者が実地調査や試堀した結果、巨大な傭坑であることが分かったという。
この歴史的文化遺産を保護するために、1979年に「秦始皇帝兵馬俑博物館」が設置された。さらに1987年に、世界遺産に登録されている。





                                  
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