黄河上流域の都市・蘭州



甘粛省の省都であり、古の時代からシルクロードの要地として栄えた蘭州。その市域は海抜1600mの地にあり、南北に約6キロ、東西に50キロという、黄河に沿った長い町だ。南に山が迫り、その間に黄河が流れているといった、自然の地形から出来上がった町である。
蘭州は古代より、河西回廊や青海方面への要衝都市として栄えてきた。漢代には金城郡が設置されて金城と呼ばれていた。シルクロード東端をなす、東西交通の重要な都市であり、武帝の西域経営の拠点でもある。
この地は古来、漢民族と遊牧民族の争奪の焦点であり、東西文明が交差したところだ。それはまた、漢民族と西域の異民族との出会いの場でもあった。隋代の582年に蘭州が設置されて、現在の名称になった。
唐代には、玄奘三蔵がインドへの途上に、この地で黄河を渡った。また元代には、イタリアの商人・旅行家のマルコ・ポーロが、大都(北京)へと向かう途上に蘭州を通っている。
白塔山や五泉山に緑が多いのは、1949年の中華人民共和国が成立後に、植林されたものだ。




この地方は特有の黄土地帯で、わたしが訪れたときには空が靄っていた。それは、黄砂が舞い上がっていたのだ。つまり、ここが黄砂の発生地の一つで、パウダー状の砂が日本にまで飛んで行くのである。
蘭州を通っている鉄道は、解放後に元満鉄の日本人技術者と、ソ連の援助によって造られている。宝鶏から、開通させたという。
青海省に発した黄河は、荒涼とした黄土高原の山肌を流れて行く。そこには12の橋が架けられており、その最初に通過する大都市が、蘭州である。黄河第一橋は、市内の白塔山の麓にある長さ240mある鉄橋だ。この橋は清代の1907年に、ドイツの「秦来洋行」が請け負って完成させた、黄河に架かる初めての鉄橋だった。1942年に、孫文(中山)を記念して「中山橋」と呼ばれるようになった。1954年には、大幅な補強工事が行われている。
この橋ができる前には、氷橋と言われていた。それは漢代のころだ。厳冬期には黄河が結氷して、その厚さは1m以上にも達し、馬車でも渡ることができたそうだ。つまり厳冬期しか、自然状態では渡河できなかったのである。
明代にはいると、大きな船を28艘連ねて浮橋として渡ったそうだ。それを「鎮遠橋」といい、春になると架設して、冬になると撤去したという。このようにして、1年中黄河を渡っていたのである。
甘粛省は、中国最大級の石油埋蔵量があり、蘭州は石油精製や石油化学、鉄鋼などの工業都市として発展している。それは、中国十大工業都市の一つに数えられている。
蘭州には、漢族に次いで回族が多い。その居住区は主に、市の西部と黄河北岸の山麓である。その地区へ行くとモスクがあり、白い帽子を被った住民の姿を目にする。
蘭州市民は、朝食に牛肉ラーメンを食べるほどのラーメン好きだ。そんな名物ラーメンの多くは、イスラム教信者が経営するラーメン屋で作られている。わたしも食べたが、具のたっぷり入った香ばしいラーメンだった。





                                  
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