敦煌の黄昏の町


加工中の夜光杯(左)と、完成品(右)


陽が西に傾き始めると、暑い日中に出歩くことを避けていた人々は、町に集まってきた。道路の両側には、屋台がずらりと並んでいる。
先ずはわたしは、床屋を探して入った。日本を発つ前に行く予定だったが、行きそびれてしまったのだ。でも知らない土地、それも中国流に刈り込まれてしまわないように、裾刈りに留める。2人の娘がていねいに仕上げてくれ、頭を洗ってくれた。あとで分かったことだが、ここは美容院らしい。
さっぱりした頭で、屋台でゆっくりと冷えたビールを呑む。ツマミは、スイカとヒマワリの種だ。口の中に含み、歯で割って食べる。最初は上手くいかないが、屋台の主の敦煌美人が要領を教えてくれた。
ホテルに戻る折、夜店をひやかしながら歩いていると、何軒かの店に夜光杯が並べてあった。敦煌のホテルに入る前に、ガイド氏のお勧めの店で買ったので、ここでは見るだけだ。どれも肉厚のものが多く、ランクの低いもののようだ。
三千年前から、中原の王に献上されていたという夜光杯は、中国人にとっては、特別のものだ。宗教的な観念を持っており、この石には、霊力や生命力があると信じられていた。玉を祀り、身に着けたり、飲んだりしてきたのだ。玉杯もそのひとつで、夜光杯で百薬の長を呑むことは、荘厳な儀式とも思われている。
夜光杯はキレン山の玉石を加工したものだ。光にかざすと、黒や緑、黄緑などの模様が浮かび上がってくるのだ。月光に透かすと、透明になるといわれている。
唐代の詩人・王輸(おうかん)の『涼州詩』にも、「葡萄の美酒 夜光の杯」と詠まれている。
賑わった屋台街で、もう一軒ハシゴする。ここのオバサンは、まったく言葉が通じない。先ほどは、メモ帳を取り出して筆談で分かったが、ここでは品物を指しての交渉である。それでも、冷えたビールは旨い。





                                  
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