断崖に並ぶベゼクリク千仏洞



シルクロードに点在するオアシス都市は、三つのタイプがある。湧き出る泉を利用したオアシスのほか、カシュガルやホータンなどでみられる、河川の水を利用したオアシスである。もう一つは、カレーズと呼ばれる地下水路を利用した、トルファンのようなオアシスだ。
トルファンの緑は、このカレーズによって保たれているのである。町を離れるほどに茫漠とした砂漠が広がっていく。オアシスの動脈たるカレーズ無くして、トルファンの町はあり得ない現実を読み取るのである。
草木も見られぬ火焔山山中のムルトゥク河の南岸にあるのが、ベゼクリク千仏洞だ。トルファンの北東38kにある、仏教石窟である。
河の断崖に沿って並んでいる、石窟の丸屋根。総てが黄土色で、側に来ないと寺院であることが、分らない。見下ろす、遥か彼方を流れるムルトゥク河沿いだけが、青々と木が茂っていた。
この石窟の開削は、六世紀の麹(きく)氏高昌国期から始まり、唐代から五代十国、宋、元代へと続けられてきた。断崖には、大小70余りの窟が確認されており、トルファン地区の最大の石窟となっている。
ウイグル語で、「装飾された家」との意のベゼクリク石窟。その最盛期には、西ウイグル帝国が支配していた九世紀中期である。現存する石窟の大部分は、この時期に造られている。壁面は、十世紀から十三世紀ごろに、描かれたものが多い。
仏像や壁画は、当時のウイグル文化を知るうえで貴重な資料だが、残念ながら現在は、ほんの一部しか残っていない。それは、イスラム教がトルファンに浸透するとともに、破壊されてしまったのだ。
さらに、清代末に外国人探検隊によって、壁画の多くを剥ぎ取られてしまった。切り取られた壁画は、各国に分散して保管されているが、ドイツ隊の収集品の多くは、戦時中の爆撃によって失われてしまったそうだ。
現在公開されている石窟は、第17、20,21、26,27,31,33,39号窟の8窟である。





                                  
inserted by FC2 system