ホータンの古の風は今も


ふだん我々か見慣れた木々の緑だが、砂漠の民にとっては、憧れにも近い愛着を感じるのは頷ける。街路樹のポプラもスナナツメも、大切に育てられている。それに花壇には、たくさんの花々か咲き競っていた。
泊まったホテルの玄関前にも、バラやタチアオイが花壇いっぱいに咲いていた。ピンクや赤、白色の見慣れた花々。それに、ほとんど黒に近い赤黒いタチアオイは、初めて見る花である。そのほか、ベニバナやケイトウ、マリーゴールド、コスモス、アサガオ、ヒマワリ……等が、咲いていた。
町の中心部にも花壇をよく見かけ、夏の花々で賑わっている。そんな町中の通り沿いにあるのが、「ホータン文物展覧館」だ。入口の看板には、「ホータンの歴史の文物ミイラの展覧」と、日本語で書いてある。
商店の入口のような小さな扉を開けると、一階は図書館と売店だった。二階に、ホータンの遺跡やニヤ遺址からの出土品が展示されている。漢代以降の古銭や、木簡なども並んでいた。
日本語で書かれた看板通り、ミイラがある。女性のミイラは、唐代のものだった。繁華街の真っ只中で、小さなビルの二階に上がるとミイラがあるのが、何とも不可思議に思えた。やはりここは、古の時代から砂漠の中にある、オアシスの町なのだなあと思った。
展示物にあるニヤ遺址は、ホータンの東約300k離れた砂漠の中にある。かつては、西城三十六国のうちの精絶国(せいぜっこく)という、小国のあった所である。しかし四世紀に、ケリヤ河の流れか変わってしまい、町は放棄されてしまった。
ホータンの西南約11kには、ウテン国の都城跡と考えられている遺跡かある。漢代から宋代にかけて、居住者がいたといわれている。しかし現在は畑や果樹園になってしまい、土の小山が僅かに残っているのみだ。



ホータン文物展覧館を出て、300mほど行ったところに、工芸品工房かある。ここでは、ホータン玉を中心とした工芸品か作られており、二階ではその品を直売している。
一階の工房では、機械と向き合って玉を加工していた。切断、造形、研磨など、それぞれ分業である。男性に交じって若い女性もいる。イヤリングやネックレスで飾った、ホータン美人である。そういえば、日本語はたどたどしいが、我々をガイドしてくれている若い彼女も、ホータン美人だ。
玉を研磨している職人の顛は真剣そのものであり、すべてが手先に集中している。



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