ホータンの空港へ向かう



タクラマカン砂漠から昇る朝日を見終えてから、冷え切った身を縮めてホテルに戻った。焼きたてのナンで朝食をとると、体も温もってきた。
今日は、今回の西域の旅の出発点でもある、ウルムチヘ戻る予定である。ホータンの空港から、12時10分にフライトし、タクラマカン砂漠を空から縦断することになる。ウルムチに近づくころ、天山山脈の白銀を纏った山々が、きっと輝いていることだろう。
紀元前三世紀のころから、仏教国として栄え、法顕や玄奘などの中国僧も訪れた、ホータン。仏教がすっかり滅びてしまった今は、ひっそりとした町になってしまった。広大なタクラマカン砂漠の周辺を、交易路で結ばれていたオアシス都市全体が、同じ運命にある。しかし、我が国にとってシルクロードは、日本文化の故里でもあろう。
仏教がインドから中国に、最も早く伝来した地がホータンである。仏教は、オアシスで栄えた古代都市王国で信奉され、定着しなから、しだいに東進していったのである。
砂漠に水を引いて、人か住めるようになった地域がオアシスと呼ばれている。ホータン河沿いの都市を始め、タリム盆地のカシュガル川沿いや、ヤルカンド川沿いが、大きな都市として発展していった。
そんなオアシスの拡大は、水の絶対量によって左右されてきた。耕すべき土地がなくて、農耕からはみ出したオアシス民。彼らはその地の特産物を、近隣のオアシス民と物々交換を始めた。しだいに、遠隔地へと手を広げて交易を行うようになったのだ。つまりオアシス民は、地理的制約から商業民となっていったのだった。
シルクロードで活躍したオアシス民の誰もが、水と緑に憧れていたことは当然である。



旅をしたどの都市でも、乾き切った大地に木々を植え、緑を茂らせていた。我々か泊まったホテルの庭も、花々か溢れていた。
ホテルの朝食を終えると、慌ただしくパスに乗り込み、空港へと向かう。航空便の変更の多いシルクロードの都市なので、早めの行動か大切だ。
バスかエンジン音を高鳴らせると、小さな町はすぐに途絶え、ゴビ灘の大地が広がっていく。
空港に近づくころ、美人ガイド嬢とハンドルを握った中年運転手が、得意の喉を披露してくれた。澄んだ裏声で歌う、美人嬢。がなるような、野太い低音のでっぷりとした運転手。二人で唄う声のアンバランスに、バス内は笑いの渦となった。



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