新市街の中心地・ティムール広場



ブロードウェーの銀ブラを楽しみつつ、ティムール広場へと向かう。直線道路の行き当りが広場で、大樹に囲まれた中央にティムール像がある。
軍馬にまたがり、右手をあげたティムール。馬は左前足を上げ、後ろ足は土を蹴り上げている。まさに、力強く疾走している、躍動的な姿である。
ティムール像は、新生ウズベキスタンの民族的団結のシンボルなのだ。旧ソ連時代は、ここの場所にはマルクス像が建っていたそうだ。それ以前は、スクーリン像だったという。
見上げるティムール像は、力強く、勇壮な姿だ。中世の中央アジアが生んだ、大征服者に相応しい風貌である。
「チンギスが破壊し、ティムールが建てた」と、ウズベキスタンでは言われている。その言葉のごとく、ティムールは破壊もしたが、偉大な建設者でもあるのだ。彼好みの「青い都」を、次々と造り上げていったのだった。
ティムールは、1370年にアミール・フセインを倒して、マー・ワラー・アンナフルを統一した。以来彼は、ホラズムを降し、イル・ハン国を征服し、南ロシアに侵入した。
1398年にはデリーを占領して、トウグルク朝を滅し、翌年、ダマスカスやバグダード(イラク)を占領したのだ。さらにティムールの留まることのない遠征が続き、イランを始め、シリアではエジプトのスルターンを敗北させ、1402年には、アンカラ(トルコ)でオスマン軍を粉砕したのだった。
絶え間のない遠征を繰り返して、版図を広げていった征服者・ティムール。彼の悲願でもあった中国遠征には、何年もかかって準備をして、20万の大軍を集めて出発したのだ。しかし、そんな野望は実現されずに、華々しくも、波乱に富んだ生涯を終えたのだった。
再び、ティムール像を見上げる。
騎乗して手を挙げて遠くを見つめた、思慮深い姿。それは、これから遠行する遥か彼方の国に、遠大な望みを抱いている表情である。




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