日本兵捕虜が眠る日本人墓地



ムスリム墓地の一画に、第二次世界大戦でソ連の捕虜となった、79名の日本人が眠る墓地がある。
賑わったタシケントの街を、南西にバスは向かう。郊外の樹々に囲まれた、ムスリム墓地の奥に、日本人墓地はあった。
モスクのゲートのような、立派な門を通って中に入る。小道の両側には、丈の低い草が茂っている。木の間越しに、ムスリムの墓が続いている。どの墓石も、厚板状の石を立てたものだ。形も不規則な長方形で、どの墓石にも似顔絵が描かれている。それは、写真のような細密な肖像画で、その下には名前と年代が表記されていた。
ウズベキスタンでは、ペルシア文化の流れを引く細密画の技術が、現在も受け継がれている。きっとその技術を、ここに活かしたのであろう。
それにしても、木々の生い茂る薄暗い場所に、微笑する顔の群れが並んでいるのは、何とも不気味な情景である。
小道を進んでいくと、木立に囲まれた最奥に、日本人の墓地があった。草ひとつ生えておらず、ムスリムの墓とは違い、手入れが行き届いている。近くに、墓標を洗っている中年男性がいたので、彼が管理しているのだろう。わたしは、その男性に頭を下げた。
地の表面には、墓石が規則正しく配置されている。それは小さな長方形のテーブルが、ずらりと並んでいるような様でもあった。
二枚の石版をA字型に立てた、高さ2mほどの記念碑がある。その正面には、大文字の日本語で「永遠の平和と友好不戦の誓いの碑」と刻まれた、金属片が埋め込まれていた。1990年に、日ソ親善協会福島県支部によって造られたことが、刻まれている。
裏に回ってみると79名の埋葬者の氏名が刻まれていた。
「きっと、ナヴォイ劇場を建てた人が、何人もいるに違いない」と思った途端、胸に込み上げてくるものがあった。
通りすがりで赤の他人のわたしは、馴れ慣れしい言行をはばからねばならないだろう。しかし心の中から、しぜんに言葉が溢れ出してきた。
「おつかれさま!」と呟きつつ、合掌をする。
ふと足元に目がいくと、そこには可憐な小さな花が咲いていた。ユウスゲのような花形をした、薄紫色の花びらがこちらを向いている。




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