小径に沿って続く土壁



ジュマ・モスクから路地を南に100mほど行くと、青タイルが青空に映える「パフラヴァン・マフムド廟」に出る。
「パフラヴァン」とは「強い」との意であり、1326年に79歳で亡くなった、パフラヴァン・マフムドの廟である。彼はヒヴァの大臣で、庇護者として尊敬されていた詩人で、哲学者でもあったという。今この廟は、マフムドの墓を中心にして、十四世紀から二十世紀にかけて造られた、ムハンマド・ラヒム・ハーンとその親族の合同廟になっている。
木彫りの重厚な扉から中に入ると、小さな中庭に出た。正面にはドームの霊廟があり、内部の青タイルがきらびやかだ。前方の墓石は、ムハンマド・ラヒム・ハーンのものである。その左側に、小さな室がある。より豪華
に装飾された廟は、パフラヴァン・マフムドのものだ。
右手に、シェルガジ・ハーン・メドレセを見やり、東ヘ100mほど小径を辿ると、「イスラーム・フッジヤ・メドレセ」だ。側には、ヒヴァで一番高いという、45mのミナレットがそびえている。
このメドレセはさほど大きくはないが、ヒヴァでは最も新しいものだという。最後のヒヴァのハーンだった、イスフェンディヤル・ハーン。その大臣だった、イスラーム・フッジャによって、1910年に建造されたメドレセとミナレットだ。 イスラーム・フッジヤは、進歩的な大臣だったそうだ。ロシアをたびたび訪れては、持ち帰ったアイディアを自国の発展のために役立てていたという。ヨーロッパ式の学校を開き、病院や郵便局なども造ったのだ。
町を近代化していったので、住民から人気の高かった彼は、ハーンと僧侶たちに妬まれて殺害されてしまった。いずこの時代、いずこの国を問わず、愚かな支配者はいるものである。



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