ベリー・ダンスで夕食



ステージの中央で演奏する、シンセサイザーが響き渡るクラブは、我々の借り切りである。これなら、気兼ねなく楽しめそうだ。
二つのテーブルに分かれて座り、わたしはワインで羊肉料理を食べる。肉と野菜のたっぷり入ったスープや、羊肉の串焼きのシャシリクは旨い。
ほろ酔いになってきたころ、華やかに着飾った女性が、舞台から飛び出してきた。我々のテーブル近くのやや広くなった場所で、ベリー・ダンスを踊り出した。わたしの目も口も、忙しくなってきた。
入れ替り立ち替り、ダンサーたちは悩ましいポーズで、早いリズムに乗って踊っている。躍動的に肢体をくねらせ、腰を振っての艶かしい姿。呆気にとられるほど、そのしなやかな体と仕草に、目を奪われる。
しばし我々は、グラスやフォークを置いたまま唖然として眺めていたが、再び会話が戻ってきた。そんなころあいを見計らったのか? ダンス・ショーは、やがて終った。
我々に気を使っているのだろう、シンセサイザーを演奏する中年氏は、日本の曲を奏で始めた。早いテンポにアレンジした『スキヤキ・ソング』をきっかけに、次々とお馴染みの曲ばかりである。
1人、2人、3人と、誰からともなくステージ近くに集まり、踊り始めた。いつしか、我々グループの6、7人が踊っていた。むろん、年下のわたしは先導したほうで、ゴーゴーだか何だか分からない踊りを、リズムに合わせて体を動かしていた。
曲が終わり、テーブルに戻って、Sさんからの差し入れのウォッカを呑み始めた。
宴たけなわのころ、わたしの傍に長身のハンサム青年が来た。流暢な日本語を話す彼は、30歳前後に見える。日本に来て、下町でしばらく暮らしたというので、話が弾んだ。
夕食が終った後、彼とカウンターへ移った。名前はフルカット・アレックスという、ウズベキスタン人だ。あまりにも日本語が上手いので訊いてみると、5年間、日本に住んでいたという。差し出した名刺には、日本語、ペルシア語、ロシア語の通訳、旅行ガイドと、英語で書いてあった。
彼は、「部屋はたくさんあるから、今度ウズベキスタンに来るときは、ホテルを取らないで私の家に来てください」と言う。さらに、良質のロシア産キャビアが安く手に入るというので、土産に好いと思い、3つ頼んだ。
「日本の歌を歌って下さい」というので、シンセサイザーの演奏で、〈裕次郎・ナンバー〉を二曲唄う。ディスプレーに歌詞が流れないので、唄い難い。カラオケに馴染み過ぎたせいだろう。
今夜から3連泊するので、帰るまでにまた会うことを約束して別れた。



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