ソグド人の描いた壁画や、アフラシャブの丘からの出土品などがある、丘の麓の博物館。興味ある展示品を見た後、市内に戻る途上にあるモスクへ向かう。時計は、11時になろうとしているところだ。
バスで10分ほど行ったタシケント通り沿いに、「ビビハニム・モスク」は悠然と構えていた。
このモスクは、イスラム世界で最大規模を誇った、モスクの跡だ。現在は使われていないが、修復が進み、かつての華麗な姿を取り戻しつつある。
彩色タイルをふんだんに使った、幾何学的模様が鮮やかだ。ティムール好みの碧色のドームが、空の青さと競うかのように、眩い光を放っている。
華やかに模様づけられた、巨大なアーチの前には、これまた巨大な三角形の石が二つ、台座の上に行儀よく載っている。ガイド氏が言った。
「この大きな石は、コーランの本を置く石です。左右の斜面に表と裏表紙を当てて、ページを開きます」
実際に、この台を使わなければならない、大きなコーランの本があるというから、驚きである。「中央アジア最大のモスクには、最大の本があるものだ」と、妙に感心してしまった。
まだ、修復途上のこのモスク。外壁の鮮やかな色タイルのそこここが、剥脱している。
モスク内に入ると、さらに痛ましい。内壁も丸天井も土色で、各所にひび割れが入っている。古の華やかしきころは、きっと絢爛たる光彩を放っていただろうと、往時の姿を思い浮かべてみる。しかし、イメージが湧いてこない。
このモスクは、1399年にインド遠征から帰ったティムールが、壮大なモスクを造る決意をして、造られたのだ。各地から多くの職人や労働者を集め、インドから連れてきた捕虜も加えて起工された。95頭の象も従事させ、ティムール自身が毎日現場に出向き、指示する熱の入れようだったという。
モスクは、ティムールの死の1年前、悲願の中国遠征に出発した年の1404年に、完成した。
しかし、落成後間もなく、礼拝者の上にレンガが落ちてきて、以後、落下が続いたという。当然、礼拝する人もいなくなり、崩壊が徐々に進んで廃墟となったのだ。
さらに追討ちをかけたのが、たび重なる地震だったという。崩壊の大きな原因は、建設を急ぎ過ぎたことや、巨大過ぎた構造に問題があったといわれている。
広大な敷地には、この大モスクと、2つの小モスクが並んでいる。しかし今では、栄華の夢となっている。