車窓から眺める大自然



朝食のレストランは、混み合っていた。わたしとKさんが食べ終わるころ、二人の中年の欧米人女性が同席した。ややあって、手前に座っている女性が、話しかけてきた。
「ホェアー・アイ・ユー・フロム」
わたしは、日本から来た旨を言った。彼女は、ドイツ人グループの中にいた人だと思ったが、とりあえず、どこから来たのか尋ねた。すると、パリからだと言う。そこで、知識の乏しいフランス語を使ってみた。
「コマン・タレ・ブー(ご機嫌いかが)」
彼女は首を傾げて、怪訝な顔をしていた。「パリ」は、わたしの聞き違いで、ドイツにあるどこかの土地の名前を言ったのだろう。
朝食後、シャフリサーブスへ向けてホテルを発ったのは、ちょうど九時だった。
「緑の町」との意のシャフリサーブス。その名のごとく、オアシス都市として、豊かに発展してきたことを物語っている。
そこはまた、中央アジアの偉大な指導者・ティムールの生れ故郷である。それゆえ、この古都の名が、歴史に留められているのだ。古くは「ケシュ」との名で知られ、七世紀には、玄奘三蔵も立ち寄ったという記録も残っている。
ホテルから幹線道路に沿って、バスは真南へ進む。シャフリサーブスまでは、4時間余りで着くだろう。
整然とした町を出てしばらくすると、豊かな自然が、風景の主役となっていった。沿道には、青々とした麦畑が広がり、木々に囲まれた民家が点在している。背後には、小高い淡い緑の山々が続いている。それはまるで、自然の砦を連ねて、集落を庇護しているような様である。



そんな農村風景もしだいに消え去り、いつしか大草原に変わっていった。所々に赤色土の露出した地もあるが、丈の低い草が一面に広がっている。潅木は一本も見当たらず、緩やかな起伏の大地に、緑の絨毯を敷いたような情景である。
左手に見える、緑色の小高い山々。その背後には、雪を頂いたザラフシャン山脈が、白壁を輝かせている。
広大な草原には、数百頭が一塊となった羊の群れが、そこここで草をついばんでいる。4,5頭の馬の群れも、羊に混じって食事中である。
右手に見えるのは、牛の群れだ。気の遠くなるような、距離感がまったくつかめないだたっ広い草原が、どこまでも続いている。遥か彼方の大地は、一線を引いているかのように、赤茶けている。きっと、水の行き届かない、砂漠地帯なのだろう。
どちらかというと、進行方向の左側、つまり東側の方が、豊かな自然である。車窓からの飛び行く草原の風景を見ているだけでも楽しい。目にするもの総てが、真新しい光景である。
所々に、黄や赤色の大地が点在している。黄色い花弁の這性草花の群れと、赤色はヒナゲシの花である。それぞれに大群落を作って、鮮やかな模様を大地に描いている。群れる形や大きさがそれぞれ違うのは、種がしぜんに飛び散った結果だろう。



沿道にいた三頭のロバは、我々のバスをじっと見詰めている。
どこまでも続いていた草原に、ちらほらと民家が見え始めてきた。もう、シャフリサーブスも近いのだろう。ああちこちに小川がみられ、数人の女性たちが洗濯をしている。
町へ近づくにつれ、真っ赤に染まったケシの大群落が、延々と続いている。どれも草丈が低い、小さな花々だ。
民家が増えるごとに、沿道の街路樹も増えてきた。ポプラ並木は強い陽射しを受けて、艶々とした葉を光らせている。しかし、それもすぐに途絶えてしまう。
街路樹は桑に変わった。どれも大木で、枝先の青い実は鈴生りである。梢に止まっていた二羽のカラスは、翼の真ん中と腹部が白い。バスのエンジン音に驚いたようで、慌てて飛び立った。その姿は、白カラスに見える。ザラフシャン山脈の白壁が、前方に大きく立ちはだかっている。



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