ティムールの父が眠る廟



ジャハンギール廟から200mほど西に、「ドルッティロヴァット建築群」がある。「瞑想の家」と呼ばれている、ティムールゆかりの建築群だ。
陽射しを受けて青く輝くモスクは、ウルグベクによって、1436年に建てられたものである。
中庭に入ると、「青い屋根」との名の通り、青いドームの「コク・グンバス・モスク」の前に出た。ここは現在でも使われている、現役のモスクである。そこには、向き合っている二つの廟がある。
右側の奥にあるのが、グンバズィ・サイーダン廟で、ウルグベクが自分の子孫のために建てたものである。その内部には、四つの墓石が並んでいた。



左側にあるのは、シャムスッディン・クラル廟だ。ここにはティムールの父と、その指導者、シャムスッディン・クラルが葬られている。この廟は、1374年に、ティムールによって建てられた。彼が38歳のときだ。
ティムールの父タラガイは、テュルク化したモンゴル系の有力部族である、バルラスの族長一族に属していた。バルラス部族とは、トルコ化したモンゴル族のひとつである。
タラガイは、部族の中でも相当な、影響力をもった人物だったという。しかし、ティムールが生れたころは、僅か3,4人の従者を持つのみの小身だったという。
ティムールの五代前の先祖は、カラチャル・ノヤンという有力者だったそうだ。十三世紀初頭に、チャガタイ・ハーンとともに、モンゴリアから中央アジアに移住してきたのだ。サマルカンドの「グリ・アミール廟」にある黒軟玉のティムールの墓石には、ティムールとチンギス・ハーンとは、同祖であることが刻まれている。
しかし、カラチャル・ノヤンの子の代に入って、イランのイル・ハーン国の領域へ移り住むこととなった。そのため、ティムールの曾祖父の時代になると、昔日の有力者の立場を失っていたらしい。



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