一週間振りのタシケント



車窓を眺めていると、最前までは土やレンガ造りの民家が多かった。しかし、しだいに大きなビルが増えてきた。
「さすが首都だ!」と思うほど、瀟洒な建物や高層ビルが多い。一週間前に、この地を起点に旅が始まったが、地方都市を見慣れた目には、タシケントは真新しい輝きである。
高層ビルの上階にある、小綺麗なレストランで、遅い昼食をとる。すでに、午後2時になるところだ。見晴らしは良いが、料理はどれも脂ぎったものばかりだ。サラダも水分が失せている。我々が遅かったのか? それとも、店を飾ることに熱心のあまりに、料理の風味に対する配慮を、忘れてしまったのか。
「バラク・ハーン・メドレセ」は、レストランからバスで30分ほど行った、道路沿いにあった。アーチは大きいが、全体に、こぢんまりとした構えのメドレセだ。 十六世紀に、シャイバニ朝のバラク・ハーンによって建てられた、神学校である。
入口のアーチのモザイク模様と、アラビア語の文様が華やかだ。
このメドレセは、中央アジアのイスラムの本庁が、ソ連時代からここに置かれている。中庭には大樹が並び、木陰を作っている。丈の低い生垣が、庭と小道との境を、はっきりと区切っている。
部屋は事務所になっており、開いている窓から中を覗くと、数人の職員が机に向かっていた。



道路を隔てた向かいは、「タシケントの金曜モスク」と呼ばれている、「ジュマ・モスク」である。
小さなドームは、アルミのような金属製で、太陽の光を反射している。全体の建物は、公民館風で小さい。角に取り付いた低いミナレットの窓には、大きなラウド・スピーカーが取り付けてあった。モスクらしい風格、いや、格式張らない、言わば、下駄履きモスクだ。それゆえ、市井の人々に愛されているのかもしれない。
中庭の一隅には、本庁に属するという図書館がある。小さな建家の入口はメドレセのアーチ状で、二階の建て方はネパールの木造家屋を思わせる、ユニークな建て方だ。
館内に入ると、階下のショー・ウィンドーには、本が展示されていた。吹き抜けになった、二階の明るい窓際に沿って、机が並べられている。そこが、閲覧室になっていた。
ここには、各国語に翻訳されたコーランや、世界最古のコーランのコピーが展示されている。
最古のコーランの「オスマン・クラーク」は、ティムールがダマスカス(シリア)から持ち帰ったものをコピーしたそうだ。オリジナルは、書庫に保管されているという。
小さな図書館ではあるが、内装が美しい。



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