ペルセポリスの遺跡へ




道路は混み合っていた。ちょうど通勤ラッシュの時間帯だ。
どの乗り合いバスも満席だ。我々の空いたバスを、羨むような眼差しで見詰めている。バスはイスラームの掟が守られていて、前列が男性で、後列が女性である。どのバスを見ても、男女半々に分かれて座っていた。
中央分離帯や沿道の芝生では、長いホースで朝の水撒きをしている。撒かれた水は、脇に掘られた細い水路を伝って、植樹にまで流れる仕組みになっていた。緑と水を大切にする、イラン人の工夫がここにも表れている。水の豊富な日本では、考えられない生活の知恵である。
これから訪れるペルセポリスは、このシーラーズから東北へ約六〇キロの場所にある。アケメネス朝にペルシアの王宮として、標高約一六〇〇メートルの高地に築かれたのだ。
それはまた、ヨルダンの「ぺトラ遺跡」とシリアの「パルミラ遺跡」と並ぶ、「中東の三大遺跡」といわれるほど、重要な遺跡でもある。一九七九年に、世界遺産に登録されたペルセポリスは、イラン最大の見どころの一つとなっている。



「ペルセポリス」とは、「ペルシア人の都」との意のギリシア語で、イランでは一般に「タフテ・ジャムシード」と言うそうだ。「タフト」とは「玉座」、「ジャムシード」は伝説上の王の名で、「ジャムシード王の玉座」との意だ。
ペルセポリスは、紀元前五一二年ごろにアケメネス朝ペルシアのダレイオス一世が建築に着手し、その子クセルクセス一世によって完成した都だ。壮麗な宮殿や広間は、ラフマト山(慈悲の山)から切り出された石材が使われたという。
車窓から眺める、トウモロコシ畑の緑は瑞々しい。田園風景や松林を眺めていると、荒地の一画にテント張りの家々が点々としている。不規則に数十棟が並んでいる家々は、遊牧民のテントだという。
そんな車窓からの飛び行く風景を眺めていると、ペルセポリスの入口に着いた。



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