拝火教の町ヤズドへ向けて



町のレストランで昼食をした後、バスはエンジン音を高鳴らせて、ヤズドへと向かう。
しばらくすると、辺りには田園風景が広がってきた。トウモロコシと麦畑が、交互に続いている。かなり広いトマト畑があるのも、この辺りはトマトの生産地だという。収穫する姿も見られる。
荒地になった一帯には、山羊や羊が放牧されている。近くには遊牧民のテントが点々としているが、人影は見当たらない。
そんなのどかな車窓の風景も、しだいに途切れとぎれとなっていった。道路の両側を見ても、木々の無い荒地が続いている。それはまるで、砂漠に僅かばかりの草が点在する姿である。そんな様は、かつての旅で見た、ウズベキスタンのキジルクム砂漠の情景と、そっくりだった。沿道の両側には小高い山々が遠望でき、不毛の峰々が連なっている。
これから訪れようとしているヤズドは、イランのほぼ中央に位置する砂漠都市である。その地には、アケメネス朝、サーサーン朝時代に国教だった、ゾロアスター教信徒が今でも住んでいる。ペルシアがイスラム化したときに、ゾロアスター教徒の大半がインド方面に逃れたが、ヤズドにはいくつかの寺院や墓地が残されたのだった。



西洋の旅行者としてヤズドに最初に訪れたのは、マルコ・ポーロだといわれている。彼が訪れたときは、今遺跡として残っている有名なモスクなどが、無かった時代だったそうだ。しかしマルコ・ポーロは、「学識が高くて優秀な人々が住む美しい町」と称えていたという。
沿道はしだいに荒地が少なくなり、イラン名産のザクロ畑が続いている。木は小さいが、小枝をしならせて赤い実がたわわに付いていた。街路樹のキョウチクトウは、艶やかな赤い花を、これ見よがしに咲かせていた。
こちらを振り向いたガイドのムサさんは、マイクを手にして言った。
「かつてはこの道路は、いつも車が混んでいましたが、今はスムーズです」
その理由は、ほとんどの車がタンク・ローリーだったが、石油のパイプ・ラインが埋設されたおかげで、交通渋滞がなくなったという。



点々としていた人家がしだいに増え、集落が見られるようになった。ヤズドに入ってきたようだ。すでに辺りは暗闇のベールに包まれ、民家からこぼれる薄明りが唯一の頼りの光である。
ホテルに着いたのは、午後八時二十分だった。計算通り、六時間かかったことになる。
そこは、かつて地元の実力者の大邸宅だった建物を、ホテルに建て直したという。暗くてよく分からないが、木々の多い広い庭園には噴水があり、水が流れていて素晴らしい。明朝、散策をするのが楽しみだ。
今日は、バスでの長い移動だったので、疲れた。それに腹の虫も鳴いている。遅くなったが、先ずは夕食だ。



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