古都「イスファハーン」へ



賑わった、ヤズドの町のレストランで昼食後、バスはイスファハーンに向けて発った。時計の針は、ちょうど1時半を指していた。
ここから西へ約320キロあるので、順調に行っても、優に五時間はかかるだろう。
先ほど訪れた、民家の奥さんはスカーフだけであったが、ヤズドの女性たちはチャドルを着ている人が多かった。頭から足首まで、体をすっぽりと黒い布で覆っていた。
ガイドのムサさんに聞いてみると、彼は微笑みつつ言った。
「この辺の人たちの服装は、百年ほど前まで、サーサーン朝時代の服装をしていました」
サーサーン朝というと、三世紀から七世紀である。世界最古の一神教といわれる、ゾロアスター教徒の多いこの地。やはり服装も、古を大切にしているのだろう。



「どうなのかなあ?」と思っていたことを、ムサさんにだしぬけに聞いてみた。
「ムサさん。奥さんは?」
一瞬ためらっていた彼は、モジモジとしながら目を細めて言った。
「まだです!」
ちなみにムサさんは41歳になる。
そんな話から、イラン人の結婚についての話に発展していった。
イラン人の98八パーセントは、今でも見合い結婚だそうだ。結婚する平均年齢は、男性が30歳で女性が25歳というから、必ずしも早くはない。しかし地方へいくほど、早婚のようだ。これは、どこの国でもいえることだ。
ムサさんはイランの結婚のしきたりを、いろいろと話してくれた。
「息子の嫁にしたい」と思ったら、親はザクロとアンズ、糸杉を持って、彼女の家へ行くそうだ。嫁方の親がザクロをもらうと、許嫁の印という。
「女性が社会に出るようになってから、強くなりました」
ムサさんはニャリとしながら、おもむろに言った。
この10年で女性の服装もずいぶん変わり、お洒落になったそうだ。確かに都市部の若い女性は、チャドルではなくて、ロング・コートのマーントー姿を良く見かけた。それに、スカーフもカラフルだった。
ちなみにイランではスカーフは、13歳以上の女性は被らなければならないという。



車窓の両側には、キョウチクトウの赤い花や、ネムのピンク色の鮮やかな花が咲いている。
あいかわらず、木々の少ない砂礫地帯が続いている。
夕闇が迫り、辺りは日暮れようとしているときだ。遥か彼方の小高い山々が、うっすらとシルエットとなっている。その奥に、太陽が沈もうとしている。
まだ青さの残る空と、薄暗い大地との間の空は、茜色に染まっている。峰々は夕陽に映し出されて、その頂部が輝いている。実に雄大な光景で、自然が創り出した美に、しばし見惚れていた。
そろそろ着くと思われるイスファハーンは、イラン高原最大の川である、ザーヤンデ川の中流域にある。標高1575メートルのイスファハーンは、「イランの真珠」ともいわれている古都である。
古くは、アラブ侵入の際に野営地にされたことから、7世紀ごろは「セパーハーン」とか、「アスパハン」などと呼ばれていた。その「軍隊の地」との意が、「イスファハーン」との地名の由来となっている。以来、シルクロード貿易の要衝として、重要な位置を占めてきた。



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