イランの相撲ズール・ハーネ



リンゴやナシ、サクランボウなどの生産地という、古都・イスファハーンに入ったのは、黄昏どきだった。
街中の賑わった中心部にある「Aホテル」での夕食後、イランの国技でもある「ズール・ハーネ」を見に行く。
ズール・ハーネは、イランの相撲といってもいいだろう。でもこれから見学に行く道場は、トレーニング場だ。徒手体操や器具を使った体操などで、体の鍛錬に励む場でもある。その後に、「コシュティ」と呼ばれる、イラン相撲が行われるのだ。
ズール・ハーネとは、「力の家」との意で、いわゆる古式体操を行うクラブでもあり、イラン伝統のレスリング道場を指す。これから行く道場はトレーニングだけで、格闘技はやっていない。
メイン道路から逸れた、裏町の一角に道場があった。
狭い入口から中に入ると、高い天井の練習場に出た。四方の壁には、額に入った選手の写真などでぎっしりと飾られている。天井に近い最上段には、ホメイニ師の肖像画がひときわ目立っていた。
見物席は競技場を中心にして、壁側に並べられた椅子席と、雛壇になった場所とがある。わたしは見易い雛壇の中段に座った。



前方の壁面の一段と高い場所に、中年男性が座っている。その座は「サルダム」と呼ばれる演壇で、「モルシェド」といわれる精神的指導者の席である。
モルシェドの聖句の唱えと、鐘と太鼓を叩きながらの掛け声から始まった。すべてを、モルシェド一人が担当している。
朗々とした声は、道場に響き渡っていく。その聖句は、今でもイラン国民に愛されている、ハーフェズやサアディーの抒情詩を吟っているのだと、ガイドのムサさんは言う。
ややあって雛壇の最上段の奥の部屋から、「ゴウド」と呼ばれる競技場に向かって、六人の若者たちが飛び出してきた。
彼らは、モルシェドの掛け声に合わせながら、さまざまな体操を始めた。腕立て伏せのようだったり、体を逆に反らしたりしている。どの技も、力を競い合うような型の体操だ。
モルシェドが座っている姿は、一見して「番台のおじさん」風だ。しかし彼の聖句によって、鍛錬の進行のリズムを司るのである。モルシェドの吟唱の良し悪しは、ズール・ハーネにおいてきわめて重要な要素だという。



ズール・ハーネの古式妙技は、佳境に入った。大きな棍棒を両手にして、振り回している。
「肩が外れるのでは……」と思われるほど力強く、スピードに乗せて滑らかな曲線を描いている。力自慢の若者たちは、危な気なく太い棍棒を回している。
イスラム教徒の男性が体を鍛える、このズール・ハーネ。その歴史は、六、七百年前のイル・ハーン時代に遡るそうだ。それは、イランを完全に征服して支配した、モンゴル系の王朝の時代だ。そのイメージ通り、イランでも破壊、殺戮などの血なまぐさい行為が行われた時代だった。
十三世紀のチンギス・ハーン時代のモンゴルでも、兵士の身体を鍛えるために、モンゴル相撲が取り入れられていたという。
ズール・ハーネは、十八世紀のガージャール朝期になると、イラン民衆に広まったそうだ。その精神の根底は、「個人の能力を尊重し、お年寄りの尊敬と他人へのいたわり。さらには、神への尊敬」という、イスラム精神そのものである



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