イラン料理とアルコール



ヴァーンク教会から街の中心部へ戻り、レストランで昼食をとる。
肉と野菜料理もしかり、焼きたてのナンが実に旨い。それに暑かったので、冷えたノン・アルコール・ビールが、心地好く胃袋に流れ込んでいった。一気に飲み干してから、もう一本追加注文する。イランへ来てから5日目、このビールにもだいぶ慣れた。
実は、晩酌を欠かしたことのないわたしは、禁酒国イランを旅するに当って、かなり迷ったのだ。でも、ペルシア文化の遺跡群を見るという、魅力の方が勝っていた。「ひとときアルコールを忘れて、イランの旅をしよう」と、決断したのだ。
旅の1〜2日目はアルコール飲料が無くて、食事どきは物足りなかった。テーブルに向かうと、グラスに溢れたラガー・ビールの泡が瞼に浮かんでくるのだ。
諦め? いや、ノン・アルコール中毒(?)になったのか……、瞼からしだいにラガー・ビールのイメージが消え始めていた。しだいに、ノン・アルコール・ビールに馴染んでいったのだった。
ガイドのムサさんも言っていたが、アルコール類は革命後に飲めなくなったそうだ。しかし、今まで飲んでいたものが急に飲めなくなれば、「?兵衛はどうするの?」と、余計な心配をしてしまう。
そこは「蛇の道は蛇」で、葡萄酒の密造や密輸酒が密かに出回っているそうだ。むろん値段も高く、見つかって没収だけでは済まず、イスラム教徒ではない我々外国人といえども、刑罰が下されると聞いている。
そんなイランは、紀元前に醸造がおこなわれた、ワイン発祥の地ともいわれている。現在は禁酒国であり、実に皮肉な話である。
オーストラリアには、「シラーズ」というブドウ品種が普及しているそうだ。その名は、イラン中南部の古都・シーラーズに由来するものといわれている。



かつてのイランは、世界の中心として栄華を極めていた。そこに富が集中していたことから、「世界の半分」といわれていたことのある、歴史深い国だ。
イラン国民の約半数を占めているのが、ペルシア人である。さらにアゼリー人やクルド人、アラブ人、トルクメン人‥‥などのほか、遊牧民を含めて多くの民族が暮している、多民族国家である。
当然、地域や民族によって料理にもバラエティーに富んでいる。
カスピ海沿岸部での主食は米だが、他のイラン各地ではナンを食べている。ナンといえば、インドやパキスタンでも主食だが、もともとはペルシアから伝わったものといわれている。
いつものことだが、料理の最初に運ばれてくるのが「スッペ・ジョウ」という大麦のスープだ。クリームとトマト味の二種類があるが、トマト味の方が口に合う。
わたしの好きになった料理の一つである、「キャバーブ」は旨い。いわゆる、中近東諸国で一般に言われている「シシ・カバブ」である。羊肉を角切りにして串焼きにしたものだが、イランでは牛肉もあり、肉も軟らかくて旨い。
ペルシア料理は煮込みが多く、肉と野菜とほどよく交じり合った味が、わたし好みだ。
焼きたてのナンは、どこでも旨かった。薄いナンの「ラブァーシュ」に、野菜を丸め込んで食べる味も好い。その中でも、ナンと野菜を千切って混ぜ合わせる「アーブ・グーシュト」が絶品だった。
羊肉も鶏肉も、味付けがさっぱりしていて食べ易い。すっかり、ペルシア料理が気に入った。



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