四十の柱宮殿



イスファハーンの中心部からやや外れた、ザーヤンデ川に架かる「シャフレスターン橋」。この橋は長さ約100mで、11のアーチを持つイスファハーンで最も古い橋だ。
橋の下部の丸い部分は、サーサーン朝時代に築かれたものだ。その後の改修や増築で、現在の姿になったのはセルジューク朝期だという。かれこれ、1700年余りも現役である。
その橋梁技術の素晴らしさの証を見てから、街へ戻った。



「チェヘル・ソトゥーン宮殿」と呼ばれる、「四十の柱宮殿」は、街の中心部にあった。
大樹に被われた宮殿に入ると、正面にはプールのような長方形の池が、建物の方に向かって長く伸びている。池を囲むようにした花壇には、バラやダリヤなどの華やかで彩色豊かな花々が、咲き競っていた。
この宮殿はアッバース一世が建て始め、1647年にアッバース二世によって完成した。「チェヘル・ソトゥーン」とは、「四十柱」との意だ。
しかし、実際の柱は20本しかない。それは、正面にある池に柱の像が映って、40本に見えることから名付けられたのだ。何とも風雅な命名である。
池には、たくさんの金魚が泳いでいる。水面に浮き上るたびに、映った柱がさまざまな形に歪んでいた。
建築当時の柱は総て、色ガラス鏡で覆われていたそうだ。往時、外国からの賓客をもてなすために使われていた宮殿は、現在は博物館となっている。フレスコ画をはじめ、ミニアチュール(細密画)や陶磁器などが展示されていた。



迎賓館を飾る壮麗な壁画は、サファヴィー朝の国力と栄華を誇るものである。オスマン帝国やウズベク族との戦い。それに、ムガル朝のフマユーン王との宴などの歴史画が見ものである。
極彩色の饗宴の絵があり、それはまさに「千夜一夜物語」の挿絵のようでもあり、インドの宮廷画のようでもあった。
偶像崇拝を禁止しているイスラム世界で、こうした具象表現が描かれていたこと自体が驚きである。それは具象画が、すべて禁止されている訳ではないそうだ。このように、王侯貴族の邸宅などの壁画に、取り入れられていたという。つまり、イラン工芸を代表する、ミニアチュール(細密画)や象嵌細工には許されているという。



ミニアチュールは、モンゴル支配のイル・ハーン時代に元からもたらされた、中国絵の影響で発展したそうだ。後に、インドの宮廷画のムガル絵画にも、影響を与えたのだ。
中国からモンゴル、イラン、そしてインドへ。このミニアチュールからも、シルクロードの文化交流の歴史を見ることができる。



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