建築史を語るジャーメ・モスク



「ジャーメ・モスク」は、チェヘル・ソトゥーン宮殿から直線距離にして、北東へ二キロほど行ったところにある。バスで5分ほどだ。
「ジャーメ」とは金曜日のことで、イスラム教の集団礼拝日を指している。しかしガイドのムサさんは、念を押すように言った。
「『ジャーメ』とは『完璧』との意味で、正確には、『ジョーメ』が『金曜』と言います」
しかし、日本のどのガイド・ブックにも「ジャーメ」と記載されている。その旨を伝えると、ムサさんはやや首を傾げつつ言った。
「それは間違いです!」
わたしは、ペルシア語ができないので納得できないが、ひとまずここでは「ジョーメ」でいこう!
わたしは苦笑いをしながら、頷いた。



そのジョーメ・モスクの前に立つ。今までのミナレットとやや違うのは、先端部だ。丸い塔の周囲は、二本のミナレットともに、欄干で囲まれている。むろんモスクは方形ではないが、かつて日本にあった火の見櫓を思われる。それはきっと、礼拝の時刻を告げるアザーンのとき、どの方角からでも朗詠できるようにした配慮からだろう。
装飾タイルで飾られた門・エイバンから、中へ入る。
見上げる天井は、小さなドームが連続している。その数、470あるという。一部を除いて、すべて異なるデザインである。また、柱が2本、3本と合わせてある形も独特だ。そんな太い柱は、ティムール時代の特徴だそうだ。



このモスクの創建は8世紀で、イスファハーンのなかでも、最古の寺院だという。
モスクは一度焼失したが、11世紀のセルジューク朝時代に再建された。その後も19世紀に至るまで、補修と増改築を繰り返してきたそうだ。そのために、さまざまな時代の建築様式やタイルワーク、アラベスク文字などが随所に見られる。これは、イランの建築史を物語るものであり、貴重な建造物でもある。
奥に行くと、分厚い白壁の地下壕のような場所があった。祈りの部屋で、寒い冬や暑い日は、ここが使われるそうだ。
広い中庭に出る。ここは、長さ76メートルで幅が65メートルある。そこには壇が設えてあり、その上に赤い絨毯が敷かれてあった。今でも、祈りを捧げる人々が絶え間ないという。金曜日の祈りの時間には、この広い中庭が人々で埋め尽くされてしまうそうだ。



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