宮殿はイラン初の高層建築



イマーム広場の長方形の池を境にして、王のモスクと向き合っているのが、「アーリー・ガープー宮殿」である。
創建は、ティムール朝時代の15世紀で、このイマーム広場が造られる前からあったという。
アッパース一世の正妻たちの住居だったという宮殿は、アッパース一世の時代に1〜2階が建てられたそうだ。アッパース二世になってから、バルコニーと3階から7階が造られた。その時点でこの宮殿は、イランで最初の高層建築になったのだった。



高い天井は、18本の太いスズカケの柱によって支えられている。今は水が枯れているが、テラス中央には池がある。往時はきっと、ここに魚を泳がせて楽しんでいたに違いない。
ここからの眺めは素晴らしく、イマーム広場全体を眺めることが出来る。かつてはこの場所で、諸外国の使節を王が謁見したといわれている。また王は、ここからポロを観戦していたという。
そういえば、イマーム広場の南北方向の両側には、2本の石のポールが立っていた。それが、ポロのゴールだったのだ。



イランの国技はズール・ハーネだが、馬上から木のボールを長柄の槌で打つ騎乗球技のポロは、王は好きだったという。
広場には三々五々と、家族連れが集まっている。芝生に敷物を敷いて菓子などを広げ、食べながらお喋りをしている。
混みあったバルコニーも、家族連れが多い。言葉は通じないが、数家族の人たちと写真を撮り合って、交流のひと時を楽しんだ。



宮殿内部は、ミニアチュール(細密画)で飾られている。アッパース一世の妻たちの住居に、相応しい華やぎだ。
興味深いのは、最上階の音楽鑑賞室である。天井が、二重になっているのだ。
これは、余分な音を効果的に、ここで吸収する計算がされており、優れた音響効果を備えている。反響音が聞こえた、マスジェデ・エマールとは対照的な構造である。



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