イラン最大の考古学博物館


目覚めると、カーテンの切れ間から朝日が差し込んでいた。昨夜は午後十二時近くに、このテヘランの「Kホテル」に着いた。湯に浸かりぐっすりと寝入ったので、疲れも取れてすっきりとしている。
朝食後にホテルを発ったのは、九時十五分過ぎだった。街の中心部にある、イランの歴史が一目で分かる「イラン国立考古学博物館」までは、バスで20分ほどだ。
 どっしりとした荘厳な構えの館に入ると、展示物が整然と並んでいる。この博物館は、紀元前6000年から19世紀に至るまでの美術品を集めた、イラン最大の博物館である。建物は、本館と別館に分かれていた。
本館はイスラム化以前の展示品で、別館は、イスラム以降の展示品である。反時計回りに進めば、年代順に見ることが出来るので分かり易い。
先ずは、本館から巡る。館内には、紀元前6世紀から4世紀に作られた、土器や陶磁器、青銅器などが並んでいる。ペルセポリスと、シューシやレイからの出土品だ。



ロレスターン・ブロンズの傑作といわれている「都市の守護神」は、イランに侵入した遊牧民のものである。小さな土器類が多くあるが、動物を模ったデザインが愛らしく、思わず頬を緩めてしまう。
ペルセポリスのアパダーナ(謁見の間)にあった、「ダレイオス一世の謁見図」。さらに、百柱の間にあった「牡牛の柱頭」や「階段のレリーフ」は、保存状態が良い。四日前に訪れた、ペルセポリスの情景を思い浮かべつつ、眺めていた。
紀元前300年以降に栄えた、アルサケス朝パルティアや、サーサーン朝時代の出土品も興味深い。
この時代、イラン東部に建国した遊牧民出身のアルサケス朝は、しだいに勢力を増してきた。紀元前141年、メソポタミアにあった、セレウコス朝の首都セレウキアを征服したのだ。
アルサケス朝支配は長期にわたって続いたが、紀元1世紀ごろになると弱体化して、サーサーン朝が起ったのだった。イラン主義を強く打ち出した、強固な国家だったのがサーサーン朝だ。
当時の中近東の二大帝国は、サーサーン朝とビザンツ帝国だった。この時代、徐々にイスラム化が浸透してきたころでもある。


それにより、この年代の出土品はヘレニズムの影響を受けて、写実的な描写となっている。その代表作といえるものが、展示されている、「パルティア貴婦人像」や「パルティア王妃像」である。
ガラス器もかなりあり、細い管状のガラス棒を並べた、簾のようなものがある。これはイランで発見された、最古の窓ガラスという。
穀物を入れたのだろう、さまざまな形の壺がある。その表面には、多くの種類の動物の絵が描かれている。中でも興味深い柄は、畑と山と、羊が交互に描かれている壺だ。きっと往時の人たちは、そんな場所で羊を飼っていたのだろう。遊牧生活が、克明に浮き上がっている。
別館には、8世紀以降の出土品や美術品の数々が展示されていた。
イスファハーンで造られた、漆喰のミフラーブや、11世紀から19世紀の木彫りの扉などが、見事である。
本館と別館を一巡してから、出来るだけ多くの写真を撮ろうと、歩き回った。



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