シルクロード時代の隊商宿



かつては文化面で栄えた、アナトリアの古都コンヤへと向かう。
沿道は、緑の牧草の茂った大地と荒地が延々と続く。何を啄ばんでいるのだろう、黄土が広がる一帯にカラスの大群が集まっている。遠望する雪山の峰々は、白壁を輝かせている。
この辺は寒さの厳しいところで、日本では大寒に当る1月20日ごろは、マイナス30度にも気温が下がるそうだ。



ここはアジアからヨーロッパに続いていた、かつてはシルクロードと呼ばれていた道である。絹が東から西に運ばれ、ガラスが東へ運ばれた道だ。
今はこのように、バスの車窓から風景を眺めつつ、心地好い旅を楽しめる。しかし往時の旅は厳しく、まったくそんな余裕などなかっただろう。
ラクダに荷を積み長い隊を組んで、一歩一歩目的地まで、途方もない時間を費やしていたのだろう。安全な旅は保障されず、常に盗賊団の脅威にさらされていた、厳しい旅程の毎日と察する。



これからコンヤへの途上で、キャラバン・サライと呼ばれる隊商宿を訪ねるが、そんな宿がこの沿道の各所にあったに違いない。
カッパドキアのホテルから、バスで1時間ほど行った道路沿いに、堂々とした造りのキャラバン・サライ「スルタンハヌ」があった。
それもそのはずで、この隊商宿は「スルタンの宮殿」と呼ばれる、トルコで一番の大きさを誇るという。その豪壮な造りは、まるで城塞のようだ。



見上げる、石を積み上げた壁の高さは、10メートル以上あろう。その幅は50メートル以上で、奥行きも15メートル余りある、巨大なキャラバン・サライだ。
城門のような頑丈な造りの門を入ると、石畳の中庭になっている。その中心には、石積みの小さなモスクが建っていた。ここに泊まった旅人は、このモスクに集ってお祈りをしていたのだろう。
辺りには、当時使われた、馬車や農機具などが置いてある。それに、鍋やヤカン、コンロなどが、壁面に沿って並べられてあった。どれも緑錆や赤錆だらけだ。



中庭の周囲は回廊になっており、それに沿って小部屋が並んでいた。きっと当時は、中庭の広場に駱駝を繋ぎ、人々はその小部屋で寝泊まりしていたのだろう。この隊商宿は、1229年に建てられたが、火事にあったという。再建されたのは1278年で、今の規模に拡充されたそうだ。




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