現代のシルクロードでコンヤへ



コンヤへと向かうシルクロードの沿道は、相変らずの殺伐とした風景が続く。どこまでも茫漠とした原野である。
ところどころに、芝生のような青々とした牧草地が広がってくると、ほっとする。いちだんと眩い緑だ。
ほとんど見渡らない木々だが、ときどき車窓から見えるのは、ひょろひょろと伸び上がったポプラである。
崩れかかったレンガ造りの家や、キャラバン・サライの跡も見られる。一般にキャラバン・サライは、30キロほどの間隔にあるといわれている。しかしこの辺では、十数キロの距離に縮まっている。それは、往時この辺りは、いかに栄えていたかの証しでもあろう。



このアナトリア高原の夏は、雨がほとんど降らないという。むろん、車窓から眺めていても川など見かけず、橋も見られなかった。
そんな土地を古人は、キャラバンを組んで延々と続く道を、何日も何十日も歩き続けたのだ。駱駝とともに、無事にキャラバン・サライに辿り着いたときの感激は、言葉には言い表せないほどだっただろう。
今わたしたちは、駱駝や馬に代わって舗装された道路を、車で十倍以上の速度で移動しているのだ。
人影もない荒れた原野に、点々と人家が見られるようになり、しだいに集落となっていった。コンヤに近づいてきたようだ。沿道には、ブドウ畑が続いている。まだ花は咲いていないが、アンズ畑も多く見られる。



コンヤは、首都アンカラから南に約250キロの位置にあり、アナトリアの芸術・政治・学問など、文化面を語るときに重要な都市である。イスラム神秘主義の一派でもある、メヴレヴィー教団の発祥の地ともなっている。
町の歴史も古く、先史時代にまで遡る。1077年に、ルーム・セルジューク朝が首都をイズニックからコンヤに移してから、著しく発展したのだ。コンヤが最も繁栄したのは、13世紀のころといわれている。
コンヤには、芸術家や建築家、イスラム関係の科学者などが東方から集められて、学校が開かれたそうだ。市内に、現在も残っている神学校の遺跡などが、当時のコンヤ文化の名残となっているのだ。




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