旋舞教団のメヴラーナ博物館



賑わった、コンヤの街中にあるレストランに着いたのは、午後1時を過ぎていた。昼食後は、街の中心部にある「メヴラーナ博物館」へ行く予定である。
トルコ料理は、野菜がふんだんに使われている。特にトマトやナスが多く、肉や魚などに添えられたものや、煮込みに合っている。
初めて食べたのが、ピデと呼ばれるトルコ式のピザだ。薄いので、丸く巻いて食べる。それは、くどい油の味もなく、さっぱりとしていて口に合う。



博物館は近くにあり、混み合っていた。
狭い入口から入ると、6500平米あるという敷地には、モスクや僧院、修行場などがぎっしりと建っている。
この博物館は、イスラム神秘主義の一派で、旋舞教団として知られるメヴレヴィー教団の建物だ。その創始者でもある、メヴラーナ・ジェラールッデン・ルーミーの霊廟だった。博物館として一般公開されたには、1927年のことである。1925年に、トルコ革命の指導者アタテュルクの命令によって、修行場は閉鎖され教団も解散させられたのだった。



前方に、円錐形で緑色のタイルに覆われた、屋根が見える。この霊廟は13世紀末に造られたもので、外の部分はオスマン朝時代に、スュレイマン大帝らの寄進によって建設されたものだ。
建物に入ると、入口正面には棺が並んでいた。どれも、金刺繍が施されたカバーがかかっている。
最奥に安置された、最も大きくて重厚なものが、メヴラーナの棺だ。部屋には、メヴラーナが語ったという韻文のプレートが掲げられている。



隣の部屋には、メヴラーナの愛用品や衣服、それに、セルジューク朝とオスマン朝時代の工芸品などが展示されていた。メヴラーナによって開基されたメヴレヴィー教団(旋舞教団)の信者は、皆スカートをはいている。その姿で、音楽に合わせて回転をしながら踊るのである。その宗教行為は、祈りに手段である。回転は宇宙の運行を表し、回転することで、神との一体を図るというものだ。その教団の中心地が、メヴラーナ最期のここコンヤである。



メヴレヴィー教団は、15世紀ごろにはオスマン帝国の庇護を受けて、隆盛を極めていた。しかし1923年のトルコ革命で、「脱イスラム政策」の一環として、1927年までに霊廟は破却されて、教団は解散させられたのだった。




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