石灰棚からヒエラポリス遺跡へ



遠方のなだらかな丘の中腹に広がる、ヒエラポリスの遺跡を見やりつつ、石灰棚へと向かう。
辺りは一面の原野であり、崩れて風化した方形の大石が散らばっている。きっとかつては、ヒエラポリスの都市遺跡を囲んでいた、要塞だったのかもしれない。
そんな石の間には、さまざまな雑草が茂っていた。ベンケイソウに似た花や、黄色いノコギリソウのような花は、初めて目にするものだ。カワラヒワにそっくりな小鳥たちも、飛び回っている。
前方に、真っ白な石灰棚が見えてきた。まさに「綿の城」との言葉が、言い得て妙である。まるで雪山が棚状になり、幾重にも重なり合っている状態である。をれは、段々畑のような広がりを見せている。
ブルーの湯をたたえたどの棚からも、湯気が立ち昇っている。白とブルーとのコントラストは、幻想的な光景であり、しばし目を奪われてしまった。
見下ろす彼方には、流れ落ちた湯が溜まったエメラルド・グリーンの池がある。その背後には、町が広がっていた。実に、素晴らし景観である。
石灰棚に入ることは禁止されているが、現在、狭い区域を開放している。
靴を脱ぎ、Gパンを捲り上げて入ってみると、確かに微温湯だ。しかし、下の方へ行くほど冷たくなり、指先が切れるような痛さになってくる。
当然であろう、今は2月の終りであり、まだ午前8時にもなっていない。辺りは身を縮めてしまうような、冷たい風が吹き抜けている。近くにいた犬は、石畳に猫のように丸まっていた。



この景勝地パムッカレは、トルコ有数の温泉保養地となっている。
石灰棚に行く折に遠望した、ヒエラポリスの遺跡。近づいて見ると、かなり崩壊していた。しかし、その広大な都市遺跡は、往時の繁栄振りを窺い知ることができる。
ここは紀元前190年に、ペルガモン王エウメネス二世によって、建設が始まっている。ローマ、ビザンツ時代までは栄えていたが、セルジューク朝によって町は滅ぼされてしまったのだ。
この遺跡の一番の見所といって良い、円形劇場。1万5千人が収容できるという、大きな規模である。下の舞台になる位置で声を出すと、石造りの雛壇になった、観客席に響き渡っていった。
この円形劇場は、紀元前2世紀にハドリアヌス帝によって造られた。保存状態もよく、石組みはがっちりとしている。
ファサードと呼ばれている建物の正面部分には、ギリシア神話の神々の彫刻があり、大劇場前には、アポロ神殿跡が見られる。



北入口から近いネクロポリスは、共同墓地だ。ヘレニズムからビザンツ時代のもので、千を越す墓が並んでいる。古代の共同墓地としては、トルコで最大で、長い間利用されていたようだ。
近くに、紀元前二世紀ごろに立てられたという、典型的な石積みのローマ建築がある。その隣には、三つの連続アーチと、円筒形の石積みによって造られた、ドミティアン門だ。
崩れた遺跡の石の間には、さまざまな雑草が花を咲かせていた。デージーやマーガレットのような花々が、群落をなしている。
どこからともなく、ミケネコが近寄ってきた。わたしの足に、体を擦り寄せている。きっと餌が欲しいのだろが、残念ながらカメラ以外は持っていない。




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