トルコ最大の都市・イスタンブール


レストランの駅舎側から出た。ちょうど、2本の列車が入線していたので、記念撮影してからバスに戻った。
近くの公園には、何かの集会をしているかのように、たくさんの男たちが集まっていた。「何事か?」と眺めていると、傍にいたガイドのTさんが声を落して言った。
「仕事を求めて集まってくる人たちです」
高年の人もいるが、若者や中年者が多かった。
金角湾に沿った道路は、混み合っていた。昼下がりだというのにこの状態では、通勤帯にはきっと、うんざりしてしまうほどだろう。前方にはマルマラ海が眺められ、多数の船が停泊していた。
ガラタ橋に差し掛かると、橋上は竿の放列だった。ところどころで、キラキラと輝いている小さな魚を釣り上げている。今の時期は、アジが多いという。その太公望の中の多くは、若者である。今日は休日でもないので、「仕事は?」と、案じてしまう。


この金角湾に架かるガラタ橋は、幅の広い立派な橋だ。釣り人たちは、歩道で竿を出しているので、車には何の障害もないだろう。
ここに、最初の木製の橋が架かったのは、1945年だという。1912年に2階建ての跳ね橋が造られている。しかし1992年に、老朽化と火災によって役目を終え、現在の橋を隣に建造されたのだ。
イスタンブールは、ボスポラス海峡を挟んで、アジアとヨーロッパとに分かれている。黒海とマルマラ海とを結ぶ海峡は、ボスポラス大橋とファティフ・メフメット大橋が架かっている。この2本の橋はまさに、東西文明の接点となっている架け橋でもある。
イスタンブールは、ビジネスの中心地の新市街と、旧市街地とに分かれている。これから行く旧市街は、歴史的建造物の並ぶ地域である。
コンスタンチノーブルと呼ばれていた、東ローマ帝国時代のイスタンブール。当時の栄華を象徴する建築物が数多く残っている。


ビザンチン帝国とオスマン帝国と合わせて、1600年間栄えたコンスタンチノーブル。その最盛期には、長安やバクダッドと並ぶ、世界最大の都市のひとつだった。
イスタンブール歴史地区は、3区域に分けることができる。
スルタンアフメット地区は、歴史地区の中心部である。ブルーモスク(スルタンアフメット・ジャミイ)やアヤソフィア、トプカプ宮殿、それに地下宮殿などがある。
 この地区は、ビザンチン帝国やオスマン帝国を合わせても、都として千年もの間栄えてきた。それゆえ、イスタンブールの栄華を象徴する、建築群が集中しているのだ。
スルタンアフメット地区の西に接している、ベヤズット地区。ここには、中東最大といわれる大規模なグランドバザールがある。
スルタンアフメット地区の北側にあるのが、スィルケジである。この周辺には国鉄駅があり、エミノニュ桟橋に近いために賑わっている。新市街と旧市街とを結ぶ、釣り人にも人気のあるガラタ橋は、この地域にある。





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