ホージャ一族を葬る香妃墓


町の中心部から北東へ700m行くと、アパク・ホージャ墓がある。別名を「尊者の墓」で、「香妃墓」とも呼ばれている。
ここには、イスラム教の指導者として著名な、アパク・ホージャとその家族を葬る陵墓である。1670年に創建されて、1874年に大規模な修復が行われた。そのときに新たにモスクが加わり、中央アジア式イスラム陵墓となった。
わたしが訪れたときは修復中で、全体に足場が組まれており、美しい建物を見ることができず残念だった。
この香妃墓は、1948年の地震によって、中心となっていた墓室が崩壊したが、1974年に修復されている。外壁には、緑のタイルが張詰められていて、鮮やかな姿である。
「香妃墓」と呼ばれているのは、往時の人たちからの言い伝えがある。それは、アパク・ホージャの孫娘の香妃(イクパル・ハン)が、ここに葬られていると誤伝されたためだ。
実は彼女は、清朝の乾隆帝時代に朝廷の支配に立ち向かう、ウイグル人の反乱を指導したリーダーだった。
しかし反乱は鎮圧されて、彼女は捕えられてしまった。通例では処刑されるところだが、乾隆帝に気に入られて北京の後宮入りをした。しかし、彼女は自殺を強いられて、この墓に葬られたと伝えられたのだ。そのために、香妃墓といわれていたそうだ。伝説によると、香妃は香水も付けないのに、その体からは香ばしいスナナツメの花の香が漂っていたという。
庭出ると、色とりどりの百日草や、紅花が咲いていた。染料に使う紅花は、小アジアやエジプトが原産だ。日本にある紅花はきっと、シルクロードを通って中国から入って来たに違いない。




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