タクラマカン砂漠を眺めつつ


砂漠に沿った一直線の道路を、バスはスピードを上げて突っ走る。我々の前にも後にも、擦れ違う車にも出会わない。路面が悪いので、小さな揺れの連続だ。ときどき大きくバウンドするのは、道路が大きく陥没しているからだろう。
車窓からの風景は、黄白色のゴビ灘の世界で、そこここにある小高い丘の起伏が、砂漠にアクセントを付けている。木々の緑は、まったく見られない。僅かの茂みが点々としているのは、タマリスク(紅柳)やラクダソウである。
砂漠の中の小山は、砂とタマリスクとは競い合ってできたものだ。ゴビ灘には、先ずラクダソウが生える。さらに砂が多くなると、タマリスクが育ってくる。
風によって、砂がタマリスクの根元に吹き寄せられると、タマリスクどうしで競い合い、無数の小山ができるのだ。しかし砂山が高くなり過ぎると、タマリスクの根が地下水面に達しなくなってしまい、枯れてしまう。すると辺り一帯は、丸い砂山の連なりとなる。実に見事な、自然の営みである。
茫漠たるタクラマカン砂漠の広がりが、地平線を描いている。彼方には、ぼんやりと蜃気楼がでていた。
規模は小さいが、竜巻がそこここで起きている。砂漠の黄白色の砂を、大きな渦を巻いて天高く巻き上げては、いずこともなく消え去っていく。すると近くで、次々と竜巻が誕生していくのだ。それはさも、廻した独楽が彷徨している姿にも似ている。
果てしなく続く、死のタクラマカン砂漠。人とも出会わなければ、車とも擦れ違わない。上空には、鳥の姿もまったく見られず、荒涼とした大自然の静けさを破るのは、我々が乗っているバスのエンジン音の響きだけだ。
そんな、黄白色に塗り潰された車窓の風景を眺めていると、遠方の砂上に動くものが目に入った。やっと見分けられるほど、小さな黒い影と平行してしばらく走る。その豆粒ほどに見えるのは、一列に並んだラクダの一隊だった。30〜40頭はいるだろうか、ほとんど一線になっている。隊商のようだ。
急いで、望遠レンズをカメラにセットし、ファインダー越しから目を凝らす。フタコブラクダの姿が見えた。はっきりとは判別できないが、積荷は無いようだ。一列になって止まっているようだが、ゆっくりと砂上を進んでいるのだろう。



キャラバンは、苦闘の毎日だろう。水も無く、激しい太陽の直射を浴び、厳しい自然条件と対峙する旅である。衣食住に細心の注意を払っていても、体調を崩すこともあろう。しかし、引き返すことのできない砂漠の中である。それに、一歩判断を誤ると、隊商にとっての命取りとなってしまう。
キャラバンでの日常の食事は、一般にナンか乾パンという。オアシスの生活でも、ナンは麺と並んで主食だが、砂漠の旅では、最も重要な食べ物となっている。ナンは硬くなるが腐らないので、太古からの旅人の主食となっていたのだ。
隊商たちの服装は、夜の砂漠は冷え込むので、綿入れ服や毛皮の外套が必要だ。今では、羽毛服が軽くて有効だろう。それに帽子は、昼も夜も必需品である。夜は焚き火を囲んだ後、毛布などに包まって寝るという。
バスを停めて、しばし車窓からキャラバンの行方を追っていた。豆粒ほどに見えていたそのラクダの姿も、しだいに消え去っていった。
道もない大砂漠を、よくぞ迷わずに、目的地に辿り着けるものであると感心してしまう。ふと、かつて読んだことのある、本を思い出した。「死骸をもって道標となす」とは、玄奘三蔵の言葉である。
きっとあのラクダ隊も、動物の死骸を道標にしているのだろうか? いや現在は、「衛星によるGPS(全地球測位システム)を使っているに違いない」とも思った。



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