オアシスの町は近し



チャイハナを後に、バスは再び砂漠の道を走り始めた。時計は、午後3時になろうとしているところだ。
辺りは、見飽きるほど眺めてきた、単調な風景だ。しかし、20分ほど走ったころ、道路は広くなり、小穴や亀裂が少なくなったので、バウンドが少なくなった。
タマリスクの株も丈も大きく、青々と育っている。道路脇には、小川のような水路が流れている。そんな川が、そこここに見かける。きっと、近くにザラフシャン川が流れており、そこから引いているのだろう。
小さな池も点在している。塩が滲み出て白くなった池もある。そんなところにも、タマリスクはすくすくと育っていた。きっと、塩分にも強い植物なのだろう。
それにしても、砂漠の中にこんな池があるとは、思ってもみなかった,やはり、豊かな水を運んできた、水路のおかげだろう。
中央アジアでは、流れる川も砂漠に吸い取られてしまうほどだから、小さな池はすぐに干上がってしまう,湖が少ないのも、当然の理だ,しかし、中央アジアを西に区切るカスビ海は、世界最大の湖で、そのスケールは飛び抜けて大きい,
それに、ウズベキスタンとカザフスタンとを国境にしているアラル海は、かっては世界第四位を誇った湖だった。でも、その規模は年々縮小しており、姿を消しつつあるという。しかし、アラル海の南に、運河の排水などが蓄積された、サリカミシュ湖が出現して、拡大されているそうだ,皮肉な現象である。
「ここまで」という具合には、境界線は引けないが、砂漠は除々に人為的な息が見え始めていた。ぽつり、ぽつりと見え始めた人家が、しだいに増え始めて、いつしか集落も姿を現した。どの家も土で塗り固めた、四角な平屋造りばかりだ。そのため集落は、薄茶色一色である。
辺りは、青々とした水田が続いている。草原では、放牧された牛や羊が草を啄んでいた。
土をならした畑は、運動場のように広い。
そんな情景を眺めていると、「オアシスの村に来たのだ」という安堵感が、心の底から溢れてくる。



古の旅人が荒涼たる砂漠を、ラクダを引いて、オアシスに辿り着いたときの喜び。それは、我々には、とうてい計り知れない、喜びであったろう。きっと、ラクダとともに、感激に咽たに違いない。
オアシスとはいうまでもなく、砂漠地帯を人々の努力によって造った緑地のことだ。厳密にいうと、自然地理的形態ではないのだ。
そんなオアシスが砂漠の中に点在し、それを結んで交易の道を連ならせたのが、シルクロードである。
約2000前に、中央アジアに定住した人々。彼らは、乾いた土地に水路を引く技術を見いだした。それによって、灌漑による農耕を始めたのだ。そこから、一定規模の集落が生まれて、遊牧生活にはない、都市という人間集団に発展した,つまり、中央アジアに文明が生まれたのも、このオアシスからである。
ザラフシヤン川のほとりに築かれた、サマルカンドやブハラ。アムダリヤ川河口のヒヴァ。これらは、古代から栄えたオアシス郎市である。



ホーム

inserted by FC2 system