日干しレンガ造りの遺構



目覚めると、カーテンの切れ間から、明るい光が入っていた。窓に近寄りカーテンを開けると、朝日が昇り始めたところだった。だいぶ雲がかかっており、太陽はぼんやりとしており、周囲の雲は、オレンジ色に染まっていた。
朝食後、ブハラのホテルを出たのは、9時になったところだった。バスで20分ほど行くと、「サーマーニ公園」に着いた。ここから歩いて、園内にある「イスマイール・サーマーニ廟」に行く。ちょうど道路工事とかち合い、そこここから土煙が舞い上がっている。そんな場所を避けて、大回りをして廟に着いたが、土埃で茶色の靴は、真っ白になっていた。
我々を遠巻きにしていた、中学生ほどの少女たちが集まってきた。登校中とおぼしき十数名の彼女たちは、口々に喋っている。ウズベキ語で何を言っているのか分からないが、少女たちの明るい笑顔が爽やかだ。
木々に囲まれ、石畳の敷かれた中央に、廟は建っていた。さほど大きくはない、日干しレンガの四角な建物だが、レンガの模様が優美である。



この廟は中央アジアに現存する、最古のイスラム建築だという貴重なものだ。イスラム初期の建築様式の霊廟として、世界中の考古学者や建築家に注目されているという。建造されたのは、九世紀の終わりごろといれている。ブハラを占領して都とした、サーマーン朝のイスマイール・サーマニーが、父親のために建てたのだ。しかし後になって、彼自身も、彼の孫も葬られて、サーマーン朝の王族の霊廟になったのだ。
モンゴルの来襲により町が壊滅されたとき、土中に埋もれており、周りが墓地だったために気付かれなかったという。発掘されたのは、1925年である。廟は9m四方で、壁の厚さは1.8mある。日干しレンガを積み上げた、半球ドーム型の屋根の単純な構造だ。壁面を日干しレンガだけで、さまざまな模様に積み上げている。これは見事であり、当時の建築家の技術と美意識に驚かされる。
一見して、建物全体が歪んでいるように見える。目を凝らして見ると、確かに外壁は垂直ではない。鉛直方向に対して、内側に傾いた造りとなっている。これは、意識的に造ったのだという。それに壁面は、積み上げたレンガの凹凸によって、陰影が作られる仕組みが施されている。日差しの強弱や角度によって、外壁は微妙に変化する仕組みである。見られないのが残念だが、月光に照らされた姿が美しいという。



イスマイール・サーマーニ廟から、北東へ300m行ったところが、「チャシュマ・アイユブ」である。木々の茂った小径を歩いて行く途中で、ニ人の青年が道端で、彫金細工の店を広げていた。彫金師の青年はテーブルに向かって座り、細いタガネを使って、金属の皿に彫り込んでいた。精緻な下絵に沿って刻む、鮮やかな手捌きに見惚れてしまう。



前方のドーム型の屋根と、とんがり帽子型の屋根。その隣には、採光窓のあるドームなど、アンバランスな建物が、チャシュマ・アイユブである。「チャシュマ」とは「泉」で、「アイユブ」とは、旧約聖書に出てくる預言者・ヨブのことで、「ヨブの泉」との意である。古時、水不足のとき、ヨブがこの地を杖で叩いたら、泉が湧き出たという伝説から名付けられたという。
泉は十ニ世紀にでて、十四世紀に真ん中のドームを造り、十六世紀に前のドームが出来上がるといった具合に、次々と建て増しした。そのために、このような建物の形になったという。今でも建物の中には泉があり、湧き出している。
遠方から、音楽が聞こえてくる。賑やかな民俗音楽である,
どこから来たのか、あまり身なりの良くない小柄なおばあさんが、傍に来て離れない。
「物乞いかな?」と思ったが、その手には煙る枯れ草の束を持ち、わたしの方へ近寄せている。脇にいたガイド氏が言った。
「砂漠の草を煙らせているのです。その煙に触れると良いことがあると、こちらでは言われているのです」
「お寺のお線香のようなものなのだね」
わたしの言葉に、ガイド氏はほほ笑んで頷いた。
手の平で、線香の煙を浴びる仕草を何度かし、老婆の手の平に200スム(20円)を置いた。すると、それを見ていた近くにいた子どもたちが、近づいて来た。わたしを取り囲み、次々と手を出してくるのだ。わたしは首を横に振りながら、足早に離れた。



ホーム

inserted by FC2 system