ミナレットからの眺望



アルク城から500mほど南東方向へ行くと、「カラーン・モスク」とミナレットがある。城から直線距離にすると、200m余りだ。
 モスクに入る巨大なゲートは空色を基調としたタイルで飾られている。その幾何学的摸様は、優美である。 このモスクは、1514年、シャイバ二朝に建てられた。ソ連時代は倉庫になっていたというが、独立後は再び、礼拝所として再開されたのだ。
 東口の正面入口から入ると、前方には青いドームがそびえている。中庭は回廊で囲まれており、その天井は、多くの柱で支えられている。その数208本あるそうだ。
庭の中ほどには、1本の大樹が茂っている。「カラーン」とは、タジク語で「大きい」との意で、その名の通り、モスクの広さは1万平方メートルあり、1万人の信者が一度に礼拝できるという。
 メッカの方向を示す、ミフラーブという壁の窪み。色タイルで、いちだんと華やかに飾られている。人々はその方位に向かって、お祈りをするのだ。その右側には、十段ほどの高さだろう、木製の幅の狭い階段が置いてある。ミンバルという説教壇で、導師はここで、説教やコーランを朗誦するのだ。
 再び中庭に出る。青いドームが、青空に輝いている。その隣には、ブハラのシンボルといわれている、ミナレットがそびえている。



 この朽葉色の「カラーン・ミナレット」は、1127年に、カラハーン朝のアルスラン・ハーンによって建てられた,高さ46mあり、ブハラで最も高く、町のどこからでも見られるという。
 見上げるミナレットは、どっしりと構えて力強く立ち上がっている。塔の基底部の直径が9mあり、土台部分は10m余りも潜っているという。搭は、上に行くほど細くなる円筒状だ。
 塔身の壁面を十四層の帯状に分けて、それぞれレンガを異なる積み方で装飾している。ここから眺める壁面は、まるで彫刻されたように美しい。
 ミナレットは「光塔」との名のごとく、アーチ型の16の灯火窓がある。灯火用窓の下の一層だけが、青タイルが使われているのは、実に独創的だ。それはまるで、塔にトルコ石のリングを嵌めたような様だ。
 ミナレットは、町中が崩壊した大地震にも耐えたという。また、中央アジアでは「破壊者」といわれている、チンギス・ハーンにも破壊されなかったほど、強固なミナレットだったのだ。



 塔は、このモスクと橋で結ばれている。中には105段の螺旋階段があり、上れるそうだ。わたしは回廊伝いに、ミナレットの上りロヘと行った。
 挾い石段は暗く、足元が見えない。両手を左右の壁面に当てながら、つま先で段差を確認しつつ上って行く、まさに手探り状態で、感が頼りである。
 目もしだいに慣れ、石段の間隔もつかめると、足はしせんにステップを刻んでいく。息も切れ、汗が滲んでくるころ、頭上に薄明かりが差し込んできた。すると、さらに足早になり、息も荒くなってきた。
 灯火窓からの眺めは、実に素靖らしく、町中を見渡せる、いや、青い空との境になっている。黒紫色の地平線までもが、はっきりと眺められる。16箇所ある灯火窓をぐるりと廻ると、360度の展望が楽しめた。



 モスクの回廊の丸屋根が、ここから見下ろせる。288個あるという屋根は、まるで、お椀を伏せて規則正しく並べたような様だ。真下に見える藍色のモスクの屋根は、いちだんと鮮やかだ。
 近くには、回廊の丸屋根とそっくりな造りのバザールがあり、カラフルなカーペットなどが、たくさん吊るされている。その向こうには、巨大なアルク城の城壁が広がっている。こちら側に面した城壁の部分が、大きく崩れ
ている箇所が見られる。
 下では感じられなかった、頬を撫でるような爽やかな風を受けつつ、しばし絶景を楽しんでいた。
 実はここは、十八世紀に「死の塔」と呼ばれて、恐れられていたという。この灯火窓から囚人を投げ落としていた。死刑台として使われていたという。



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