ティムールが眠る廟



カーテン上部の隙間から、朝の薄ら日が部屋を明るくしていた。心地好い目覚めだ。
たっぷりと腹ごしらえをしてから、ホテルを発ったのは9時だった。「さあ、【青き都】巡りだ!」と、意気込んだ。サマルカンドで、ティムールの足跡を辿ることを、楽しみにしていたのだった。
道路を隔てた真南に、「グリ・アミール廟」がある。ホテルの玄関に立つと、青く丸いモスクの屋根が、朝日を浴びている。ここから、400mほど先である。
タジク語で、「支配者の墓」との意のグリ・アミール廟は、ティムールをはじめ、彼の息子たちがここに眠っている。
荘厳な建物のゲートをくぐると、正面には、ひときわ青さを誇示しているような、ドームが建っている。青色の彩釉タイルを張り詰めた、「青の都」と呼ばれる、サマルカンドに相応しい建物である。
中庭に、建造物の基礎だけが残っている。これは、ティムールの孫のムハンマド・スルタンが建てた、メドレセとハナカの跡である。しかし彼は、1403年のトルコ遠征で戦死してしまった。ティムールは、ムハンマドを偲んで、その隣に、現在ある巨大な廟を建てたのだ。
廟は、1404年に完成した。しかし、翌年の中国遠征の途上で急死したティムール自身も、ここに葬られることになった。ティムールは生前、生地のシャフリサーブスに廟を造っていたが、その遺言は実現しなかった。
廟内に入ると、そのきらびやかさに目を見張ってしまう。内部は、1996年に修復が終了し、建設当時の煌めきが戻ったそうだ。金を3キログラムも使ったという文様装飾は、実に華麗である。



廟内の全体に、墓石が並んでいる。中央にある、黒緑色の軟玉で造られたのが、ティムールの墓である。その北側には、ティムールの教師だったという、ミルサイード・ベルケと、孫のひとりの墓だ。
東側には、ムハンマド・スルタン。南側は、ウルグベクの墓が。西側にあるのは、近い方から、息子のシャー・ルフと孫のひとり、それに息子のミーラーン・シャーの墓だ。このようにティムールは、一族に囲まれて静かに眠っている。
これらの墓は、位置を印した墓石である。実際の亡骸は、この地下三メートルのところにある、墓室に納まっている。どれも、墓石と同じ配列で葬られているという。
1941年6月、ソ連の学術組織によって、ティムールの墓が開けられた。それにより、ティムールの足が不自由だったことや、ウルグベクが断首されて死んだことなどが、証明されたという。



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