アフラシャブの死の丘



ウルグベク天文台跡から市内に向かって、南西に約1k戻ったところに、いわくつきの場所はあった。「アフラシャブの丘」で、モンゴル軍に徹底的に破壊されてしまった、旧サマルカンドの町跡である。とはいっても、建造物の跡は何も見渡らず、茫漠たる緑の丘が続いている。
石段を上り切って、丘に出た。眼前に広がっているのは、大小の瘤(こぶ)のようになった、緩やかな起伏の続く原野である。丈の低い草が生えている場所や、土塊(つちくれ)のむき出した地などが入り交じっていて、かつてのサマルカンドの都だったとは、想像すらできない。
モンゴル軍によって破壊される以前は、何世紀もの間、サマルカンドの町はここに築かれていたのだ。発掘調査の結果、11層もの文化の痕跡が確認されたという。4つの大門があり、シルクロードと結ばれていたのだ。丘の北東の角には、今でも城砦の跡が残っている。
町は交易で賑わい、舗装道路が走り、各家庭には水道があって緑に溢れていたそうだ。
モンゴル来襲の後、町が死の丘となってしまったのは、生命線の給水システムが破壊されてしまったからだという。



眺める遠方には、赤いシャツを着た羊飼いの少年が、数十頭の羊の群れを従えている。最前より、歩く足元に小さな糞がいたるとことに落ちている理由が分かった。ここは今、放牧場でもあるのだ。
起伏のある、丘のそこここには発掘の跡があり、土中には、レンガ積みが残っている箇所もある。
見晴台のようなこの丘からは、町が見下ろせる。巨大なモスクがそびえ、遥か彼方には、雪を頂いた山々が連なっていた。



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