ガラス・陶器博物館



考古学博物館から北へ十五分ほど歩いた、緑に囲まれた敷地内に「アーブギーネ博物館」があった。
この館には、紀元前400年から現在にいたる、ガラス器や陶磁器が展示されている。
広い前庭には方形の池があり、噴水からは、遠慮がちに水が吹き上がっていた。
この館はガージャール朝時代に建てられたもので、1910年、当時の権力者の邸宅だったという。エジプト大使館として、使われたこともあったそうだ。
瀟洒な外観も、華麗な造りの館内も素晴らしい。円を描いた、木製の階段。天井と壁に施された漆喰の装飾。どれも、しっとりとした風情を醸し出している。それは、アール・ヌーヴォー様式とペルシア様式とが、見事に融合した姿でもある。
一階は、紀元前からサーサーン朝までのガラス器や陶磁器が、年代順に展示されている。それは、日本の正倉院の宝物や、ベネチアン・グラスにも影響を及ぼしたといわれている。
二階は、9世紀から19世紀ごろまでの作品だ。変わったところでは、『涙壺』と呼ばれているガラスの壺だ。流れるような曲線が優美な、その壺。それは、戦地へ赴いた夫を待つ妻が、その無事を祈って流した涙を、このガラスの壺に溜めたそうだ。まさに、名前が示す通りの壺である。
「現代だったら、どうなんだろう?」と、余計なことを考えつつ、涙壺を眺めていた。
そんな珍しいガラス器や陶磁器の数々を、わたしはカメラのシャッターを切りまくっていた。
陶器も然り、ガラス器の歴史も実に深いのだ。



ガラスの歴史を追ってみると、古くは紀元前3000年から、2000年紀前半に及ぶ。エジプトやエーゲ海域などで、アルカリ石灰ガラスによる、小さな装飾品が製作されていたのだ。
ガラス容器が出現したのは、紀元前2000年紀後半で、西アジアとエジプトで作り始められた。その時期が、ガラス工芸の本格的な幕開けとされている。
古代のガラスは、紀元前1500年ごろに北メソポタミアで、最古のガラス器製作技法の一つであるコア・ガラス容器が作られていた。
一方、メソポタミアやエジプト、シリアなどで、粘土で型を作り、溶かしたガラスを押し付けて成型する、「型押し法」などの製造技術が確立されている。
現在の世界中のガラス工房が行っている、「ローマ・ガラス」と呼ばれている吹き技法。これは、紀元前50年ごろ、ローマ帝国時代に発明されたものだ。厳密に言うと、この技法はシリアが発祥の地といわれている。
4世紀末になると、ローマ帝国が東西に分裂した。476年に西ローマ帝国が滅亡すると、サーサーン朝ペルシアが勢力を伸ばしてきた。メソポタミア地方と、イランを支配したのだ。
この時代のガラス技法は、基本的にローマ帝国時代の方法と同じだった。でも中には、切子や突起装飾を施した作品も作られていたようだ。日本の正倉院の「白瑠璃碗」は、この時代にシルクロードを経て伝えられたものとされている。



ローマ帝国時代のガラスの原料を見てみると、溶融させるアルカリ分は、地中海産の良質な天然ソーダを使っていた。しかしサーサーン朝時代は、砂漠の植物の灰を使っていたという。そのために、淡褐色や淡緑色のものが多いのだ。それは、ソーダ分以外の不純物のためである。
古代のガラスからの技法には、コア技法に始まってモザイク技法、鋳造技法、熱垂下法などがある。究極的に、現在の吹き技法が確立されたのは、ローマ帝国時代といえよう。
わたしは、そんな時代ごとの製法を思い浮かべつつ、展示されているガラス器を鑑賞していた。さらに脳裏を過ぎったのは、かつて訪れたことのある「諏訪北澤美術館(長野県)」の光景だ。
館には、ガレを始め五百点余りのアール・ヌーヴォーのガラス工芸品が展示されていた。どれも、斬新なデザインの素晴らしいガラス器ばかりだった。そんな美麗で見事なガラス器に、驚嘆したことを思い出す。
今、目の当りにしているペルシア・グラスは、豪華さには欠けるが、深い歴史の重みを感じるとともに、清楚な美しさが輝いていた。




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