イスタンブールへ向かって


 19−イスタンブールへ向かって
どんよりとしていた空は、しだいに明るくなってきた。降っている雨も、止みそうな気配である。バスはマルマラ海に沿って、北東に伸びたゲリボル半島を、イスタンブールへ向かって快走して行く。
このゲリボル半島は、第一次世界大戦のアタテュルク指揮下で、英仏連合軍との激戦地だった場所である。それゆえ各所に、戦没者共同墓地や、戦争記念碑が残されている。車窓からの風景を眺めている限り、そんな生臭い戦があったとは思えない、のどかな情景である。


沿道は緩やかにうねった丘が続き、牧草地帯が広がっている。雨に洗われた緑が、実に鮮やかだ。でも道路沿いの木々は、まだ芽吹いておらず、枯れ木のようで寒々としている。
これから行くイスタンブールは、トルコのビジネスの中心地でもあり、また古い歴史を持つ都市だ。その地には、ローマやビザンツ帝国オスマン朝など、合わせて122人の最高権力者が手にした都でもあるのだ。その間、1600年余りの年月が流れている。日本に合わせてみると、弥生時代から大正時代に当る。


共和国時代に入る前のオスマン朝は、1402年に、中央アジアから攻めて来たティムールによって、アンカラの戦で敗れた。それにより、一時滅亡したものの再び復興を遂げたのだ。
1453年にコンスタンチノーブル(イスタンブール)を占領して、ビザンツ帝国を滅亡させた。その後、アナトリアやバルカン半島のほとんどを領土にする。さらに1517年には、エジプトや北アフリカを領土として拡大していった。


オスマン朝の盛期は、16世紀のスレイマン大帝の時代である。その領土は、東欧から北アフリカ、西アジアに及んでいる。
オスマン朝の末期は、「瀕死の病人」といわれたほど国内は混乱していた。そのなかで、革命の火の手を上げたのが、ムスタファ・ケマルである。彼は、分割・植民地化の危機にあった、トルコを救ったのだ。


トルコ共和国を成立させたのは、1923年10月29日のこと。アンカラに首都を移して、初代大統領となった。彼は政教分離やラテン文字の採用などの大改革を行った。


近代化を進めたムスタファ・ケマルは、現在でも「アタテュルク(トルコの父)」と、国民に敬愛されている。
しかし19世紀末になると、エジプトやギリシア、ブルガリアなどが独立した。さらに第一次大戦ではドイツ側につき、敗戦国となったのだ。




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